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ドバイワールドカップの有力海外騎手・調教師はコチラ!

2017年03月22日 22:03

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 大本命のアロゲートホッパーチュニティを送り込むボブ・バファート調教師は、アメリカ競馬界における“リビングレジェンド”の1人。もともとはクォーターホースの調教師として、競馬界におけるキャリアをスタートさせたが、1991年にサラブレッドの調教師に転身すると、あれよあれよという間にトップ調教師に上り詰めた。シルバーチャーム・リアルクワイエットと、ポイントギヴン・ウォーエンブレムによる2度の2年連続でのアメリカ三歳二冠制覇など、三冠制覇に最も近いとされていたが、ついに15年にアメリカンファラオで三冠を達成。07年にはアメリカの競馬殿堂入りを果たしている。ドバイワールドカップは過去にナドアルシバ競馬場時代に、シルバーチャーム、キャプテンスティーブで2度制している。

 アロゲートに騎乗するマイク・スミス騎手も、03年に競馬殿堂入り。ジョッキーの父ジョージのもとに生まれ、少年時代から馬に乗る生活が始まっていた。デビューは81年にニューメキシコで。ここから中西部を経て、ニューヨークへと進出しながら頭角を現す。94年にはアメリカ記録となるG1年間20勝を達成。近年は日本に繁殖牝馬として輸入されたアゼリや、デビュー以来19連勝の記録を残したゼニヤッタとのコンビが有名。65年生まれの大ベテランだが、その手綱さばきは衰えることを知らない。

 ガンランナーを出走させるスティーヴン・アスムッセン調教師は両親がともに調教師、兄も後に騎手となるキャッシュ・アスムッセンという競馬ファミリーに生を受ける。10代の頃は兄同様に騎手として活動していたが、体格が騎手に不向きに成長したことから調教師に転身した。特に00年前後からの活躍が顕著で、02年には調教師リーディングとなり、その翌々年には年間555勝の北米の年間勝利数記録を打ち立て、08年には自身でその記録を破っている。また、07年にはカーリンでクラシック二冠を制覇。翌年にはドバイワールドカップも同馬で制している。

 ガンランナーに騎乗予定のフロラン・ジェルーはフランス生まれで、父は騎手・調教師として活躍したドミニク・ジェルー。ローティーンの頃から騎手アカデミーに通い、フランスでデビュー。その後、フランス出身でアメリカに拠点を構えるパトリック・ビアンコーヌに師事すると、アメリカでの騎乗を開始。シカゴを拠点として、各地で名を高め、16年シーズンは北米リーディング5位にまで躍進した。

 ムブタヒージを管理するマイク・デコック調教師は南アフリカの出身で、本国の2箇所のほか、英国のニューマーケット、ドバイに拠点を構える超国際派の調教師である。もともとは馬に縁のない家庭に育ったが、住まいが競馬場から近かったことから競走馬に興味を持つようになった。友人であり、後に香港所属の調教師としてヴェンジャンスオブレインでドバイシーマクラシックを制するデビッド・フェラーリを通じて、デビッドの父である調教師のオーモンドのもとで研鑽を積み、その後リッキー・ギンズバーグ調教師のもとでアシスタントとなるが、そのギンズバーグ調教師が急逝したことで、思わぬ形で指揮官としてのキャリアをスタートさせることとなった。ここから半年とたたないうちに初G1タイトルを手にすると、一気にブレイク。魔術師の名をここで称されるようになると、進出したドバイで、ジンバブエ産のイッピトンビでドバイデューティフリーを制するなどして今度は世界に名を馳せることとなった。

 ムブタヒージに騎乗するクリストフ・スミヨン騎手は日本でもお馴染み。97年にデビューするやいなや頭角を現し、01年にプールデッセデプーラン(仏2000ギニー)でG1初制覇。凱旋門賞も2度制覇しているほか、フランスの主要G1はすべて勝利している。ドバイでの開催にもここ10年余りは毎年のように参戦しており、主にモハメド・ビン・カリファ殿下の所有馬に騎乗し、毎年メイダン競馬場の上位ランクに食い込んでいる。昨年はアルマンゾルとのコンビで英・愛のチャンピオンステークスなどを勝利した。

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