シャーガーは誘拐の2日後に殺されていた… ザーラ王女が衝撃の事実を告白

2026年06月14日 11:00

 故アガ・カーン4世の娘で、父の亡き後はアガ・カーンスタッドを率いるザーラ王女が、1983年に何者かに誘拐されて消息を絶ったシャーガーの最期に言及。「恐ろしい方法で」殺されたと衝撃的な事実を明かし、英競馬メディア『attheraces.com』などが報じた。

 シャーガーは1981年の英ダービーを史上最大の10馬身差で圧勝し、愛ダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスと3連勝。20世紀を代表する名馬としての地位を確立し、引退後はアガ・カーン4世らが組んだシンジケートにより種牡馬入りした。

 しかし、1983年の2月8日の夜、アイルランドのキルデア州にあるバリーメニー牧場に何者かが押し入り同馬を誘拐。主犯格はIRA(アイルランド共和軍)で、武装した男6人からなる誘拐犯たちはサラブレッドを扱う能力がなく、間もなく殺害されたというのが一般的な見解とされているが、シャーガーの遺体はいまだに見つかっていない。

 ザーラ王女は『Telegraph Sport』に対して「父が繰り返し言っていたのを覚えています。まず、あの馬には誘拐保険が掛けられていませんでした。なぜなら、競走馬が誘拐されるなんて誰が考えるでしょう? それだけでなく、馬はシンジケートの所有だったため、どう対応すべきか関係者全員の意見を一致させることができなかったのです」「父はまた、身代金を支払うことができたとしても、そのお金が人々に危害を加えるために使われるのであれば、支払う訳にはいかないとも主張していました」と、200万ポンドの身代金要求を拒否した背景を説明。

 当時12歳だったザーラ王女は「父は非常に動揺して不安そうでした」と振り返り、身代金の要求額は種牡馬としての価値のわずか10パーセントに過ぎないことをシンジケートの関係者たちが理解していなかったと指摘している。そして「我々はあの馬が2日以内に殺されたことを知っています」「彼らは非常に稚拙で、ついには殺しました。恐ろしい方法でそうしたのです」と、これまで考えられていたよりも早い段階でシャーガーが絶命していたことを打ち明けた。

 そして「シャーガーはあのような目に遭うべき馬ではありませんでした。種牡馬になってからも世界で最も穏やかな馬だったのに、あまりにも不当な扱いを受けました」「なぜでしょう? 彼はアイルランドの生産界と競馬界の象徴だったのです」「ずいぶん昔のことで別世界だったし、当時の人々の背景には異なる動機があったのです」と、今日では考えられないような出来事にやり切れない思いを吐露している。