【世界の調教師紹介 Vol.30】ニール・ドライスデール
2020年06月10日 15:00
アメリカ・カリフォルニア州を代表する調教師のひとりであるニール・ドライスデール調教師は1947年12月11日、イギリス生まれ。父はイギリス海兵隊員。自身はスペインのバルセロナ大学で学び、一時期はそこで英語教師をしていたこともある。
その後フロリダのタータンファームズで2年間サラブレッドの育成に携わって競馬の世界に入ると、アルゼンチンやベネズエラで牧場創設・管理などを経験。やがてアメリカに戻るとサンデーサイレンスの調教師として知られる伯楽チャールズ・ウィッティンガム調教師のアシスタント(4年間)を務め、1974年にサロンステーブルの専属調教師として厩舎を開業。最初に手がけた大物はサロンステーブルの所有馬でのちに米競馬殿堂入りを果たしたボールドンディターミンドで1980年のG1ケンタッキーオークスやG1エイコーンオークスなど計6つのG1を制した。
その後、1983年にパブリックトレーナーになってからも、1984年のG1ケンタッキーオークスや1985年のG1・BCディスタフを制したプリンセスルーニー(米最優秀古牝馬)、1985年のG1・BCジュベナイルを勝ったタッソー(米最優秀2歳牡馬)、1989年のG1・BCターフの覇者プライズドなど次々と活躍馬を輩出した。
1990年代に入ると、エーピーインディで1992年のG1ベルモントSを制して米三冠初制覇。同馬はこの年、他にG1・BCクラシック、G1サンタアニタダービーも制して、米年度代表馬に輝いた。
そして2000年にはエーピーインディで果たせなかったG1ケンタッキーダービー制覇をフサイチペガサスで達成した(エーピーインディはレース当日に挫石で出走取消)。なお、ドライスデール調教師はウィッティンガム調教師から“忍耐と計画性”を学んだこともあって、決して無理をしないタイプであり、ケンタッキーダービーに参戦したのはこの年の2頭だけ(もう1頭は後述するウォーチャントで9着)だ。
そのほか、1993年のG1・BCディスタフを制して米最優秀3歳牝馬に輝いたハリウッドワイルドキャット、その息子で2000年のG1・BCマイルを制したウォーチャント、1998年の米最優秀芝牝馬フィジーなどを管理。2002年にはサンデーブレイクでG2ピーターパンSを制して、日本産馬初の米グレードレース制覇も成し遂げている。2000年には米競馬の殿堂入りを果たした。
近年のG1勝ち
なし
文:秋山 響(TPC)