カリフォルニア州南部、サンディエゴ近郊にあるデルマー競馬場は1937年の米独立記念日の前日、7月3日に開場した。アメリカでは1930年代初頭まで賭博行為が禁止されており、当時のカリフォルニア住人をはじめとするアメリカ国民は、サンディエゴから国境を越えてメキシコ・ティファナのアグアカリエンテ競馬場でギャンブルを楽しんでいた。
しかし、1929年に端を発する大恐慌によって各行政府の財政がひっ迫すると、収入源としてギャンブルが解禁されるようになっていく。こうした流れの中で、カリフォルニア州も1933年に様々な制限を設けた上で賭博禁止を撤廃し、1934年にはサンディエゴより北のロスアンゼルスにサンタアニタパーク競馬場が誕生。その一方、メキシコでは1935年に賭博禁止法が制定され、カリフォルニアに競馬の観客が還流しはじめた。
デルマー競馬場の開設に際しては1936年5月6日にデルマーターフクラブが設立。元フットボール選手で経済界でも成功したウィリアム・キグリーが、デルマー近郊に厩舎を構えるなど競馬の愛好家として知られていた俳優のビング・クロスビーに呼びかける形で発足したクラブは、クロスビーを会長にパット・オブライエンやゲイリー・クーパーといったハリウッドのスターたちもメンバーに名を連ねる華やかな組織だった。
この中でもクロスビーは出資者の一人として大きな貢献を果たし、NBC(ラジオ)のプロデューサーに掛け合って土曜の朝に30分のライブショー枠を確保。競馬のクイズを出題してリスナーを楽しませるなど広報活動にも努め、1937年の開場当日にはゲートで木綿のチーフを配布しながら一人ひとりと握手して観客を迎えた。
そして、翌年には当時のスターホースだったシービスケットとクロスビーの所有馬でもあったリガロティのマッチレースを実現。この模様はNBCラジオで全米に放送されるなど、関係者の間で競馬場の認知度が飛躍的に向上する要因となった。このイベントはカリフォルニアの競馬史においてもハイライトの一つに位置づけられ、デルマー競馬場の発展と成功を決定づけたとされている。
第二次大戦中には海兵隊の訓練施設などとして接収されたが、戦後間もなく再開。1991年にはスタンドの改修に着手して規模を拡大し、外観だけでなく調度品にもこだわったスペインのコロニアル風という建築様式を踏襲して競馬場の伝統と個性を現在に引き継いでいる。
2017年には初のブリーダーズカップ開催を招致し、デルマー競馬場として2回目の開催となった2021年にはラヴズオンリーユーがフィリー&メアターフで日本調教馬による初のBC制覇。その直後にマルシュロレーヌもディスタフで日本調教馬として初の米ダートG1勝利を果たすなど快挙に湧いた。