メリーランド州ボルティモア近郊にあるピムリコ競馬場は、1870年10月25日に1万2000人の観衆を集めてオープン。夏の開催で知られるサラトガ競馬場(ニューヨーク州)に次ぎ、アメリカで2番目に古い歴史を誇る。建設を主導したメリーランド・ジョッキークラブはさらに100年余り前、入植時代の1743年にアメリカ初のスポーツ統括組織として創設されるなど、建国史に寄り添う形で現在に至っている。
競馬場オープン当日の呼び物は賞金1万ドルのマッチレースで、当時としては相当な高額だったが、翌日には賞金1万5000ドルのディナー・パーティー・ステークスが開催された。その一戦を制したのがプリークネスという馬で、2マイル(3200m)を3分47秒5で走破した記録が残っている。プリークネスは後にアメリカから初めて輸出されたサラブレッドの1頭としてイギリスへ渡り、現地でもステークスを勝つなど活躍。1873年創設のレースは同馬の功績を讃えて「プリークネス・ステークス」と名付けられ、牡馬クラシック3冠の2戦目に位置づけられることになった。