08/20 14:10
安楽死の名牝ブラックキャビア、最後の産駒も生後1日で死亡
プロフィール
最強の証明として最も解りやすい目安の一つは「無敗であること」だが、豪州で活躍したブラックキャビアは1度のミスや不利が命取りになる短距離戦で25戦全勝、G1レースだけで15勝という非の打ち所がない成績を残した。地球の裏側へ遠征しても負けることがなかった紛れもない最強スプリンターだ。
南半球の2歳秋(4月)にデビューしたブラックキャビアは、明け3歳の同年9月に重賞初挑戦で4連勝。1月のオーストラリアSでは古馬との初対決を難なく突破した。しかし、このレースで右前脚の靭帯を痛めて3歳シーズンの終了を余儀なくされる。
故障がちで570kgにも及んだという牡馬勝りの巨体を持て余していた感のある若き日のブラックキャビアだが、8か月半の休養から復帰した4歳シーズンに本格化を迎える。10月の始動戦からG2を2連勝し、パティナックファームクラシックでG1初挑戦、初制覇。ニューマーケットHでは豪州近代競馬のスプリント戦における牝馬最重量のハンデ58kgを克服するなどG1レース6連勝とした。
明け5歳初戦のスキラッチSでは豪州競馬最大のアイドルホースとされるファーラップの14連勝に並ぶ。2011年の春(11月)をパティナックファームクラシック連覇で締めると、2012年の秋(4月)にスポーティングベットクラシック(ロバートサングスターS)で20連勝の豪州新記録を達成するなど国内を完全に制圧し、満を持して英国ロイヤルアスコット遠征に出た。
ダイアモンドジュビリーSに臨んだブラックキャビアは、3番手追走から残り1/2ハロン付近で1馬身余り抜け出し、鞍上も勝利を確信して手綱を緩めた。ところが2頭に急襲され、慌てて追い直す失態。終わってみればアタマ差の辛勝となり、L.ノレン騎手は大きな批判にさらされた。
しかし、翌日になってブラックキャビアが脚を損傷し、走りに影響を受けていたことが判明。豪州で絶対的な地位を築く一方で地球の裏側へ遠征するリスクを背負い、実際に負傷する代償を払いながらも先頭を死守した事実は改めて評価され、ブラックキャビアの価値を決定づける勝利となった。
新たに自身の名を冠されたブラックキャビアライトニングから6歳シーズンを始動すると、トラックレコードを25年ぶりに更新する快走を披露し、新装記念の一戦にレース史上初の3連覇で花を添える。さらにTJスミスSまで3連勝してG1レース15勝とし、キングストンタウンの豪州G1最多勝利記録を更新。4日後に陣営から引退が発表され、その走りと同様、電撃的に競走生活の幕を下ろした。
生年 | 2006 |
---|---|
性別 | 牝 |
毛色 | 青鹿毛 |
父 | Bel Esprit |
母 | Helsinge |
母父 | Desert Sun |
調教師 | P.ムーディー |
生産者 | R Jamieson |
馬主 | G.J.Wilkie, Mrs.K.J.Wilkie etc. |
通算成績 | 25戦25勝[25-0-0-0] |
距離 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
~1400m | 25 | 0 | 0 | 0 | 25 | 100% | 100% | 100% |
1401m~1800m | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0% | 0% | 0% |
1801m~2100m | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0% | 0% | 0% |
2101m~ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0% | 0% | 0% |
馬場状態 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
良馬場 | 14 | 0 | 0 | 0 | 14 | 100% | 100% | 100% |
稍重馬場 | 11 | 0 | 0 | 0 | 11 | 100% | 100% | 100% |
重馬場 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0% | 0% | 0% |
不良馬場 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0% | 0% | 0% |