プロフィール
仏2000ギニーなどG1レース5勝の名馬ヘクタープロテクターを全兄、同じく仏2000ギニー馬のシャンハイを半兄に持つ超良血のボスラシャム。1994年の当歳市場では同世代の欧州最高価格で落札され、その存在はデビュー前から関係者の注目を集めていた。
ボスラシャムは2歳8月のデビューからともに3馬身半差の完勝でG1フィリーズマイルまで2連勝。期待の良血馬にふさわしい滑り出しで翌春のクラシックに名乗りを挙げる。そして、休養から復帰した3歳初戦は英1000ギニー前哨戦を6馬身差で圧勝。前売り1番人気を確固たる物にした。しかし、キャリアを通じて不安に悩まされた脚元が本番2日前に跛行してしまう。どうにか出走にこぎつけて勝利を手にすることはできたものの、患部を悪化させて休養を余儀なくされた。
4か月半後の復帰戦はG1クイーンエリザベス2世Sで古馬との初対戦となり、この日に“Magnificent Seven”と称される7勝(全勝)の伝説を残したL.デットーリ騎手が操るマークオブエスティームの2着に敗れて初黒星。それでも、3着馬を4馬身離して実力をアピールしたボスラシャムは、続く英チャンピオンSで生涯最高のパフォーマンスを披露する。
10ハロン路線のG1レースを3連勝中のホーリングが1番人気に推され、マイルまでしか経験のないボスラシャムは挑戦者だったが、レースでは瞬く間に2馬身半突き放す鮮やかな勝利。これによりレーティング131を獲得し、カルティエ賞最優秀3歳牝馬に輝いた。ちなみに、2013年の凱旋門賞でオルフェーヴルを破ったトレヴはレーティング130。ボスラシャム以降で「131」に到達した3歳牝馬は存在しない。
ボスラシャムは4歳も現役を続行すると、初戦からG3とG2を貫禄勝ちして7月の英エクリプスSに駒を進めた。5頭立てのレースでは圧倒的な人気を集めたが、直線で最内に突っ込むと進路を失い3着。この年からH.セシル厩舎の主戦となっていたK.ファロン騎手は降板を言い渡され、当人も引退後に思い出す時があると振り返るほど痛恨のミスだった。
悪い流れは続き、ボスラシャムは次戦の英インターナショナルSで巻き返しを期すも、レース中に落鉄した影響で4頭立ての最下位に終わる。バランスを欠いた脚元で戦い抜いたダメージは大きく、再び脚部不安を発症。これが現役最後のレースとなった。
繁殖入りしたボスラシャムは自身に匹敵するほどの大駒を残せていないが、ストームキャットとの間に生まれた牝馬レーヴドフィユは日本に輸入され、その孫のドリームイットイズがアメリカで重賞を勝っている。