プロフィール
ミルリーフは地面からキ甲までを指す体高が15.2ハンド(約154cm)と、小柄で見栄えのしない馬だったが、デビュー前の調教から非凡な動きを見せていた。実戦でも圧倒的な走りで初陣から2連勝し、早々に注目を集める存在となる。しかし、3戦目にフランスへ遠征すると初体験の輸送で体調を崩し、同じ英国調教のマイスワローに苦杯。帰国後のジムクラックSから再び圧勝を重ねたものの、フランスの主要レースを総舐めにするなど無傷7連勝のマイスワローに2歳王者の座を譲った。
3歳を迎えたミルリーフは前哨戦勝ちから英2000ギニーへ駒を進め、徹底マークからマイスワローに雪辱した一方、ブリガディアジェラードの瞬発力に並ぶ間もなくかわされて3馬身差の完敗を喫する。しかし、本領を発揮するのは次戦の英ダービーからだった。
父が短距離系の血統ゆえに12ハロンへの距離延長を心配されたミルリーフだが、ふたを開ければ残り2ハロン付近でステッキを受けると2馬身差の完勝劇。さらにエクリプスSからキングジョージ6世&クイーンエリザベスDSで古馬を撃破する。そして、凱旋門賞に狙いを定めたミルリーフ陣営は、2歳時の苦い経験を生かし、十分な休養を取ったのちにフランス入りすると、レースでは馬群の中から3馬身突き抜けて2分28秒3のレコード勝ち。前年に三冠馬ニジンスキーも果たせなかった英ダービー、キングジョージ、凱旋門賞の同一年制覇を史上初めて達成した競走馬となった。
ミルリーフは4歳も現役を続け、初戦のガネー賞を10馬身差で圧勝した。しかし、これを境に歯車が狂いはじめ、続くコロネーションCで格下に辛勝するが、レース後にウイルス性の病気が発覚。立て直してブリガディアジェラードへの雪辱を期したベンソン&ヘッジズGC(現在の英インターナショナルS)も脚部不安で直前回避を余儀なくされた。そして、凱旋門賞連覇を次なる目標に再設定した矢先、調教中に管骨を骨折してしまう。
状態は粉砕骨折に近く常識的には助からない重傷だった。緊急手術で患部をプレートやピン、ギプスで固定したものの、競走馬のケガは予後が大きな課題。痛みや違和感に耐えられず、再び負傷して命を落とすことが多い。しかし、ミルリーフはボールディング師の娘が「私が見た競走馬の中で、最も勇敢で知的なリアクション」と称す忍耐力で生命の危機を乗り越えてみせた。
さすがに現役復帰は叶わず、そのまま引退せざるを得なかったが、無事に種牡馬入りを果たしたミルリーフは2頭の英ダービー馬(シャーリーハイツとリファレンスポイント)を輩出。ミルジョージを通じて日本競馬界に大きな影響を及ぼすなど、種牡馬としても大成功を収めた。