プロフィール
英リーディング馬主に5回輝くなど一時代を築いた名馬産家のロバート・サングスター氏が所有し、競馬史に名を残すアイルランドのヴィンセント・オブライエン調教師が管理したエルグランセニョール。2人は大種牡馬ノーザンダンサーの傑出した産駒を手に入れられたなら、同馬を管理していたホレイショ・ルロ調教師にちなんだ名前をつけると申し合わせていた。ルロ師の愛称から拝借した馬名には、競走馬として最大級の評価が込められていた。
大きな期待を背負ったエルグランセニョールは2歳8月にデビュー勝ちすると、2戦目には早くも重賞を勝って連勝街道に乗る。2歳最終戦のG1デューハーストSでは後の凱旋門賞馬にして名種牡馬となるレインボウクエストに勝利、6歳上の全兄トライマイベストとの兄弟制覇を達成。無敗の英愛2歳王者に輝いてクラシックの最有力候補に躍り出た。
3歳初戦のグラッドネスSでは、同じサングスター氏所有のノーザンダンサー産駒で僚友のサドラーズウェルズに快勝。この結果により、エルグランセニョールは無傷の5連勝で英クラシックの王道へ、サドラーズウェルズは裏街道ともいうべき進路に向けられる。引退後に種牡馬として大系統を築くサドラーズウェルズも、クラシック戦線ではエルグランセニョールの影に隠れる存在だった。
英2000ギニーを1番人気で迎えたエルグランセニョールは、次戦でセントジェームズパレスSを勝つチーフシンガーに2馬身半差をつけて完勝する。後にジャックルマロワ賞を勝つリアファンはさらに4馬身差の3着、レインボウクエストは4着という強力な相手を全く問題にしなかった。英ダービーでも当然のように1番人気の支持を集めると、2000ギニーと同様に鞍上のP.エデリーが手綱を控えたまま先頭をうかがい、後は弾けるだけという体勢に持ち込む。ところが、手応えほどの反応を見せられずにセクレトの追撃を受け、叩き合いの末にアタマ差でまさかの2着。この惜敗が生涯唯一の黒星となった。
陣営はエルグランセニョールのスタミナを試すために、愛ダービーでセクレトへの雪辱を期した。しかし、宿敵は怪我で回避。すると圧倒的1番人気に推されたエルグランセニョールは、目の前から抜け出したレインボウクエストを易々と差し切って距離を克服してみせた。ここから古馬との戦いに挑むはずだったが、程なく脚部不安により引退が決まり、英3歳王者とマイル王の称号を手に種牡馬入りした。
しかし、エルグランセニョールの種牡馬生活は順風満帆とは行かなかった。低受胎率に悩まされ、15世代で計415頭の産駒しか残せずに終わる。それでも、限られた産駒の中からベルメッツ(キングジョージ6世&クイーンエリザベスDS)、ロドリゴデトリアーノ(英愛2000ギニー)らを輩出。後者は日本で種牡馬生活を送り、オークス馬エリモエクセルやマイル戦線の名脇役スーパーホーネットを残した。
また、エルグランセニョールの全兄トライマイベストの産駒ラストタイクーンはキングカメハメハの母の父として名を伝え、半妹ロッタレースもフサイチパンドラからアーモンドアイへと血をつなぐなど、一族は日本の競馬界に多大な影響を与え続けている。