プロフィール
“競馬の母国”として幾多の名馬を輩出してきたイギリスにおいて、ブリガディアジェラードは20世紀最強の呼び声もかかる名馬の中の名馬。マイルから10ハロンの距離をスピードで制圧するスタイルは、21世紀の競馬を照らす時代の魁でもあった。
ブリガディアジェラードの2歳時はミドルパークSを制すなど4戦無敗の胸を張れるものだったが、評価はデューハーストSなど6戦5勝のミルリーフ、これをロベールパパン賞で破った7戦全勝の欧州2歳王者マイスワローに及ばなかった。明け3歳のぶっつけ本番で臨んだ英2000ギニーでも、前哨戦圧勝から駒を進めた両馬に続く3番人気に甘んじた。
3頭があまりに強力なため、20世紀最少の6頭立てとなった決戦では、逃げるマイスワローをミルリーフがピタリとマークし、その様子を窺いながら追走したブリガディアジェラードが末脚鋭く一刀両断。両馬のし烈な2着争いを尻目に3馬身突き抜けて幕を閉じた。“史上最高の英2000ギニー”を制したブリガディアジェラードは、ここから引退まで1番人気を守るなど絶対的な地位を確立していく。また、ミルリーフが英ダービーから凱旋門賞へと王道路線をまい進する一方、マイスワローはスプリント戦を2連敗して引退。3頭は三者三様の道へ別れていった。
ブリガディアジェラードはマイル路線に専念し、次戦にロイヤルアスコット開催のセントジェームズパレスSを選択する。不良馬場に苦しんでアタマ差での辛勝となったが、続くサセックスSも重馬場に見舞われながら初の古馬相手に5馬身差で圧勝すると、1か月後のグッドウッドマイルでは10馬身差の逃げ切りと圧倒的なパフォーマンスを連発。両レースの2着馬が後にムーランドロンシャン賞でワンツーを決め、その強さはより際立つものとなった。
さらに、クイーンエリザベス2世Sでもジャックルマロワ賞の勝ち馬ディクタスを8馬身差で一蹴。3歳最終戦は英チャンピオンSで初の10ハロンに挑むと、またしても道悪に見舞われて格下に手を焼かされる。辛くも短アタマ差でデビューからの無敗を死守したものの、年度代表馬の座は王道路線を制した宿敵ミルリーフの手に渡った。
4歳を迎えたブリガディアジェラードはマイルのロッキンジSで盤石のスタートを切り、2戦目から再び10ハロンに挑戦する。プリンスオブウェールズSの2日前には主戦のJ.マーサーを乗せた軽飛行機が離陸直後に墜落。しかし、マーサーは奇跡の生還を果たしてブリガディアジェラードに騎乗し、5馬身差のレコード勝ちに導いた。続くエクリプスSではミルリーフとの再戦が浮上するも、ミルリーフの体調不良により流局。ブリガディアジェラードは重馬場に苦しみながらもライバル不在の一戦を制した。
連勝で意を強くした陣営は、次戦に12ハロンのキングジョージ6世&クイーンエリザベスSを選択した。ブリガディアジェラードは直線で抜け出す際、内にもたれて進路妨害の対象となったものの、13分もの審議の末に勝利を認められてデビューから15連勝。リボーとオーモンドの記録に1差と迫る。
そして、次戦のベンソン&ヘッジズGC(現在の英インターナショナルS)で再びミルリーフと対戦の運びとなった。しかし、今度もミルリーフが脚部不安で回避。その後にミルリーフは骨折で競走生命を絶たれ、ライバル対決が実現する可能性は永遠に消滅した。残されたブリガディアジェラードも2か月で4戦目という過密日程が影響したのか、ハイペースで飛ばす英ダービー馬ロベルトを捕らえ切れずにまさかの2着。「史上最大の番狂わせ」と評される金星を配給し、リボーらの連勝記録に並ぶチャンスも失った。
それでも、立て直して迎えたクイーンエリザベス2世Sではアスコット競馬場のコースレコードを1秒余り更新して圧勝。得意のマイル戦で実力を誇示すると、続く英チャンピオンSともども連覇を果たして現役生活に幕を下ろし、史上初の満票で年度代表馬に輝いた。
引退後に種牡馬入りしたブリガディアジェラードだが、その成績は芳しいものではなかった。産駒のジェネラルからロードアットウォーへ細々とつないできた父系も今や確認が難しくなり、目ぼしいところでは米三冠馬アメリカンファラオを輩出したパイオニアオブザナイルの母の父に血の名残りが見える程度となっている。