プロフィール
ホーリックスといえば1989年のジャパンCで樹立した2分22秒2の世界レコード(2400m)が何と言っても語り草。その記録は東京競馬場が改修された後の2005年にアルカセットによって破られ、さらに2018年にはアーモンドアイの2分20秒6という目を疑うようなタイムによって更新されることになるが、競馬場だけでなく、あらゆる競技場の芝生が秋には茶色く枯れていたのが当時の日本。青さを保っている現在とは一目瞭然の差があった。
また、ジャパンCは芝2400mのJRAレコードの歴史とも言える。1981年の第1回でメアジードーツが2分25秒3の新記録をマークすると、その後もジュピターアイランド(1986年)、ルグロリュー(1987年)と相次いで記録を更新。日本の競馬関係者やファンが世界の広さを思い知らされる中でホーリックスが現れた。
後に世界記録を樹立するホーリックスだが、デビュー前の調教では動きが悪く、D.オサリバン調教師がオーナーの牧場へ送り返す相談をするほどだった。しかし、実戦形式で及第点の走りを見せたことにより3歳夏の初陣にこぎつけると、4歳秋にはG1初挑戦のエアーニュージーランドS(現在のニュージーランドS)でNZの英雄と呼ばれる名馬ボーンクラッシャーの2着に善戦。続くアワプニゴールドCで初の重賞タイトルを手にしたホーリックスは、次戦のTVニュージーランドS(現在のザビールクラシック)でボーンクラッシャーに雪辱してG1初制覇を飾り、5歳シーズンに向けて本格化を告げる。
ホーリックスは5歳最終戦のDBクラシックで2度目のG1制覇を飾るが、ハイライトは春のコックスプレートだった。レース序盤で前の馬に接触し、最後方まで下がる不利がありながら、ムーニーバレー競馬場の短い直線を猛然と追い上げて2着。スムーズなら結果は違っていたであろう惜しい内容で再びボーンクラッシャーには先着している。そして、6歳を迎えると初戦の1200mから徐々に距離を延ばし、マッキノンSで3度目のG1勝ち。それから3週後のジャパンCに参戦した。
ホスト国の日本は稀代のアイドルホース・オグリキャップがマイルCSから連闘、天皇賞(秋)でオグリキャップを封じたスーパークリーク、この年の年度代表馬に輝くイナリワンの現役3強がそろい踏み。外国勢もジャパンC連覇を狙うペイザバトラー、凱旋門賞馬キャロルハウス、米サンタアニタパーク競馬場で芝2400mの世界レコードを叩き出したばかりのホークスターら強豪が集った。ホーリックスは9番人気に過ぎなかったが、3番手でハイペースに乗ると直線の坂下でいち早く抜け出し、離れた4、5番手から追撃するオグリキャップを振り切る大金星。ジャパンCを世界記録で制した快挙を受けて国内随一の新聞が異例の特集記事を掲載するなど、ホーリックスの名声を決定づける勝利となった。
ホーリックスは4か月後の帰国初戦でDBクラシックを連覇。凱旋勝利でG1レース3連勝とすると、最終戦のTVニュージーランドSを2年ぶりの2勝目で締めくくり、これが現役最後の勝利となった。
7歳春のコックスプレートを最後に引退して繁殖入りしたホーリックスは、母としても優秀な成績を残し、4番仔のブルーが2000年のメルボルンCを制覇。6番仔のラッテは未出走だったものの、2007年のオーストラリアンダービー馬フィウミチーノを産んでいる。