プロフィール
現在は競走馬の輸送ノウハウが確立され、世界中で遠征が繰り広げられるようになったが、それを約50年前に実現した国際派のパイオニアともいうべき名馬がダーリアだ。本拠地のフランスから欧州域内のみならず、大西洋を渡ってアメリカ遠征も繰り返すなど6か国でレースを経験した。
ダーリアは2歳時にフランスのM.ジルベール厩舎からデビューして6歳まで現役生活を送った。最後の1年はアメリカのC.ウィッティンガム厩舎へ移籍し、生涯成績は48戦15勝と勝率は決して高くない。しかし、そのうち10勝はG1レースで、それらをフランスとアメリカはもちろん、英国、アイルランドの4か国で手にしている。重賞勝ちならカナダを加えて5か国に達する。現代でも容易ではない実績を、はるか半世紀も昔に築いたのだから驚きだ。
ダーリアが国際派として飛躍したのは偶然の産物、あるいは次善の策と言うべきものだったかもしれない。それというのも、フランスの同世代に名牝アレフランスがおり、直接対決の8戦でダーリアはただの一度も先着できずに終わっている。ダーリアの名誉のために補足するならば、末脚勝負型のダーリアは堅いくらいの良馬場を得意としていたが、アレフランスとの対戦時は道悪など不利な条件が少なくなかった。そうして、結果的に対戦を避けるようになっていった面もある。
愛オークスを制してキングジョージ6世&クイーンエリザベスSに挑んだ際も、それ以前に1000ギニーとオークスの仏二冠戦でアレフランスに敗れていたため、世代トップクラスの評価を受けてはいなかった。しかし、キングジョージのダーリアは英・愛・仏ダービーの優勝経験馬らを相手に、前年のミルリーフに並ぶ着差記録(6馬身)で圧勝。3歳牝馬として史上初の勝利を挙げ、一躍、名を上げることになった。
その後に凱旋門賞を目指したものの、ヴェルメイユ賞のレース中に負傷してアレフランスに敗れると、傷が癒えないまま臨んだ本番で惨敗を喫してしまう。そして驚いたことに、陣営は休養を与えるのではなくアメリカ遠征に打って出る。その狙いは最強の米三冠馬にして直前には芝G1もレコード勝ちしていたセクレタリアトと対戦し、芝で世界一の称号を手にするためだった。セクレタリアトの引退により対決は幻に終わったが、ダーリアは調教師すら本来の状態に程遠いと認める状態でありながらも圧巻の追い込みでワシントンD.C.インターナショナルを制し、この1973年は英年度代表馬と英・愛で最優秀3歳牝馬に選ばれた。
4歳を迎えたダーリアは初戦のアルクール賞からアレフランスに連敗するも、天候の良い夏場を迎えるとキングジョージ連覇やベンソン&ヘッジズGC(現在の英インターナショナルS)などG1レースを3連勝。秋には再びアメリカへ遠征してブリーダーズカップ創設前に重視されていたマンノウォーS、カナディアン国際S、そしてワシントンD.C.インターナショナルを転戦。3戦目は超スローペースに泣いて3着に終わるも2勝し、この年も英年度代表馬と最優秀古牝馬、米チャンピオン芝牝馬に輝いた。
4歳までに24戦して輝かしい実績を築いたダーリアは、5歳以降にも24戦することになるが、それまでのような走りを見せられなくなった。5歳時のキングジョージでは「世紀のレース」と呼ばれる名勝負の3着に敗れて3連覇を逃す一方、ベンソン&ヘッジズGCの連覇を達成。11戦1勝で英最優秀古牝馬こそ受賞したものの、米国に移籍した6歳時は13戦しながらハリウッド招待Hと条件戦での2勝に終わり引退を迎えた。
ただ、ダーリアの偉大さは繁殖入りしても変わらなかった。産駒のうち実に4頭がG1ホースとなり、その他に2頭のG2勝ち馬も輩出。G1勝ちの牡馬3頭はいずれも日本に輸入され、その中でもリヴリアの産駒はナリタタイシン(皐月賞など)、ワコーチカコ(京都記念など)らがダーリア譲りの末脚を武器に活躍した。
生年 | 1970 |
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性別 | 牝 |
毛色 | 栗毛 |
父 | Vaguely Noble |
母 | Charming Alibi |
母父 | Honeys Alibi |
調教師 | C.ウィッティンガム |
生産者 | N B Hunt |
馬主 | Nelson Bunker Hunt |
通算成績 | 48戦15勝[15-3-7-23] |
開催日 | 場所 | レース名 | 動画 | 着順 | 騎手 | トラック | 距離 | 馬場状態 |
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1976/10/30 | サンタアニタパーク | ラスパルマスハンデキャップ(G3) | 7 | M.カスタネダ | 芝 | 1800 | 良 | |
1976/10/24 | サンタアニタパーク | オークツリー招待ステークス(G1) | 7 | L.ピンカイJr. | 芝 | 2400 | 重 | |
1976/10/11 | ベルモントパーク | マンノウォーステークス(G1) | 8 | W.シューメイカー | 芝 | 2400 | 重 | |
1976/07/26 | ハリウッドパーク | サンセットハンデキャップ(G1) | 7 | W.シューメイカー | 芝 | 2400 | 良 | |
1976/07/11 | ハリウッドパーク | ヴァニティハンデキャップ(G1) | 5 | W.シューメイカー | ダート | 1800 | 良 | |
1976/06/20 | ハリウッドパーク | ハリウッドゴールドカップハンデキャップ(G1) | 4 | W.シューメイカー | ダート | 2000 | 良 | |
1976/05/31 | ハリウッドパーク | ハリウッド招待ハンデキャップ(G1) | 1 | W.シューメイカー | 芝 | 2400 | 良 | |
1976/05/13 | ハリウッドパーク | 条件戦 | 1 | W.シューメイカー | 芝 | 1800 | 良 | |
1976/04/25 | ハリウッドパーク | センチュリーハンデキャップ(G1) | 3 | J.ランバート | 芝 | 2200 | 良 | |
1976/04/10 | ハリウッドパーク | ハンデ戦 | 4 | S.ホーリー | 芝 | 1800 | 良 | |
1976/03/21 | サンタアニタパーク | サンルイレイステークス(G1) | 7 | S.ホーリー | 芝 | 2400 | 良 | |
1976/03/07 | サンタアニタパーク | サンタアニタハンデキャップ(G1) | 9 | H.グラント | ダート | 2000 | 良 | |
1976/01/31 | サンタアニタパーク | サンタマリアハンデキャップ(G2) | 4 | W.シューメイカー | ダート | 1700 | 良 | |
1975/11/08 | ローレルパーク | ワシントンD.C.インターナショナル(G1) | 8 | Y.サンマルタン | 芝 | 2400 | 稍重 | |
1975/10/26 | ウッドバイン | カナディアンインターナショナルステークス(G1) | 4 | S.ホーリー | 芝 | 2600 | 良 | |
1975/10/05 | ロンシャン | 凱旋門賞(G1) | 15 | N.ナヴァロ | 芝 | 2400 | 重 | |
1975/09/21 | ロンシャン | プランスドランジュ賞(G3) | 3 | N.ナヴァロ | 芝 | 2000 | 重 | |
1975/08/31 | ドーヴィル | ドーヴィル大賞(G2) | 2 | L.ピゴット | 芝 | 2700 | 良 | |
1975/08/19 | ヨーク | ベンソン&ヘッジズゴールドカップ(G1) | 1 | L.ピゴット | 芝 | 2100 | 良 | |
1975/07/26 | アスコット | キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(G1) | 3 | L.ピゴット | 芝 | 2400 | 良 | |
1965/07/04 | サンクルー | サンクルー大賞(G1) | 5 | L.ピゴット | 芝 | 2500 | 良 | |
1975/06/15 | サンシーロ | ミラノ大賞(G1) | 6 | N.ナヴァロ | 芝 | 2400 | 良 | |
1975/05/19 | サンクルー | ショードネイ賞(G2) | 7 | A.ルクー | 芝 | 2400 | 良 | |
1975/05/04 | ロンシャン | ガネー賞(G1) | 6 | L.ピゴット | 芝 | 2100 | 良 | |
1974/11/09 | ローレルパーク | ワシントンD.C.インターナショナル(G1) | 3 | L.ピゴット | 芝 | 2400 | 良 | |
1974/10/27 | ウッドバイン | カナディアンインターナショナルステークス(G2) | 1 | L.ピゴット | 芝 | 2600 | 良 | |
1974/10/12 | ベルモントパーク | マンノウォーステークス(G1) | 1 | R.ターコット | 芝 | 2400 | 良 | |
1974/09/15 | ロンシャン | プランスドランジュ賞(G3) | 3 | L.ピゴット | 芝 | 2000 | 良 | |
1974/08/20 | ヨーク | ベンソン&ヘッジズゴールドカップ(G1) | 1 | L.ピゴット | 芝 | 2100 | 良 | |
1974/07/27 | アスコット | キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(G1) | 1 | L.ピゴット | 芝 | 2400 | 良 | |
1974/07/07 | サンクルー | サンクルー大賞(G1) | 1 | Y.サンマルタン | 芝 | 2500 | 良 | |
1974/06/06 | エプソム | コロネーションカップ(G1) | 3 | W.パイアーズ | 芝 | 2400 | 良 | |
1974/05/05 | ロンシャン | ガネー賞(G1) | 5 | W.パイアーズ | 芝 | 2100 | 不良 | |
1974/04/15 | ロンシャン | アルクール賞(G2) | 4 | W.パイアーズ | 芝 | 2000 | 良 | |
1973/11/10 | ローレルパーク | ワシントンD.C.インターナショナル(G1) | 1 | W.パイアーズ | 芝 | 2400 | 稍重 | |
1973/10/07 | ロンシャン | 凱旋門賞(G1) | 16 | W.パイアーズ | 芝 | 2400 | 稍重 | |
1973/09/23 | ロンシャン | ヴェルメイユ賞(G1) | 5 | W.パイアーズ | 芝 | 2400 | 重 | |
1973/09/09 | ロンシャン | ニエル賞(G3) | 1 | W.パイアーズ | 芝 | 2200 | 良 | |
1973/07/28 | アスコット | キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(G1) | 1 | W.パイアーズ | 芝 | 2400 | 良 | |
1973/07/21 | カラ | 愛オークス(G1) | 1 | W.パイアーズ | 芝 | 2400 | 良 | |
1973/06/10 | シャンティイ | 仏オークス(G1) | 2 | W.パイアーズ | 芝 | 2100 | 稍重 | |
1973/05/20 | ロンシャン | サンタラリ賞(G1) | 1 | W.パイアーズ | 芝 | 2000 | 重 | |
1973/04/29 | ロンシャン | 仏1000ギニー(G1) | 3 | W.パイアーズ | 芝 | 1600 | 重 | |
1973/04/08 | ロンシャン | グロット賞(G3) | 1 | W.パイアーズ | 芝 | 1600 | 良 | |
1972/10/26 | ロンシャン | 条件戦 | 2 | W.パイアーズ | 芝 | 1600 | 良 | |
1972/09/10 | ロンシャン | アランベール賞(G3) | 5 | L.ピゴット | 芝 | 1000 | 重 | |
1972/08/22 | ドーヴィル | 条件戦 | 5 | L.ピゴット | 芝 | 1300 | 稍重 | |
1972/08/06 | ドーヴィル | 条件戦 | 1 | L.ピゴット | 芝 | 1000 | 重 |
距離 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
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~1400m | 1 | 0 | 0 | 2 | 3 | 33% | 33% | 33% |
1401m~1800m | 2 | 1 | 1 | 4 | 8 | 25% | 38% | 50% |
1801m~2100m | 3 | 1 | 2 | 5 | 11 | 27% | 36% | 55% |
2101m~ | 9 | 1 | 4 | 12 | 26 | 35% | 38% | 54% |
馬場状態 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
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良馬場 | 12 | 2 | 5 | 14 | 33 | 36% | 42% | 58% |
稍重馬場 | 1 | 1 | 0 | 3 | 5 | 20% | 40% | 40% |
重馬場 | 2 | 0 | 2 | 5 | 9 | 22% | 22% | 44% |
不良馬場 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0% | 0% | 0% |