プロフィール
芝の史上最強馬フランケルが出現する以前、公式レーティングの最高はダンシングブレーヴだったが、その存在があってなお、最強と信じられてきたのがシーバードだ。3歳の凱旋門賞を最後に引退するまで通算8戦(7勝)と現役生活は短かったが、ビッグレースを次々と制して時代の寵児となった。
シーバードを最強馬たらしめるのに重要な役割を果たしてきたのが、1948年に創刊された英国の競馬専門誌『タイムフォーム』。独自の指標に基づいて競走馬のパフォーマンスを数値化する「タイムフォーム・レーティング」は、公式レーティングよりもはるかに早く競馬界のスタンダードとなり、今もなお欧州を中心に影響を与え続けている。そのタイムフォーム・レーティングにおいて、シーバードはフランケルの出現まで最高位にあった。
シーバードの父ダンキューピッドは仏ダービーの短アタマ差2着がキャリアの最高でG1未勝利。母系も祖母マーマレードの半姉カマリーこそ英1000ギニー馬だったものの、母シカラードは未勝利という、決して期待されるような血統ではなかった。カマリーを所有したJ.ターナックの自家生産で父ダンキューピッドも管理したE.ポレ調教師に預けられ、そのデビュー戦は短クビ差での勝利という血筋通りの派手なものではなかった。
しかし、2戦目のクリテリウムドメゾンラフィット(2023年現在はG2格付け)で翌年に仏オークス馬となるブラブラを退けて2連勝とすると、3戦目のグランクリテリウムではモルニー賞やサラマンドル賞を勝ってきた同厩の期待馬グレイドーンと対戦。シーバードは過去2戦と同様にゲートが遅く、猛追及ばず2馬身差で初黒星を喫したが、負けて強しの内容を残したことで評価を上げる。そして、これが生涯唯一の敗戦となった。
シーバードは3歳を迎えると地元のクラシック戦線を担うグレイドーンと別の道へ進んだ。初戦のグレフュール賞を3馬身差で楽勝すると、続くリュパン賞では無敗馬ダイアトム、仏2000ギニーでグレイドーンを下したカンブルモンらを相手に6馬身差をつけて圧倒。凄味を増すばかりの姿を受けてポレ師が英ダービー参戦を表明すると、ブックメーカーが直ちに反応して人気は沸騰した。
単勝2.75倍の1番人気で迎えたダービーは22頭立て。当時はゲートのないバリア式のスタートだったが、これを決めて好位で流れに乗ったシーバードは最後の1ハロンから悠然と抜け出し、2馬身の着差以上の内容をもって快勝した。2着に敗れたメドウコートは次戦から愛ダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSを連勝するほどの実力馬だが、これを全く問題にしなかった。この後、シーバードはシーズン最後の標的に凱旋門賞を定めると、ダービーからの帰国初戦でサンクルー大賞に出走し、初対戦の古馬たちを一蹴して夏場を休養に充てた。
こうして、シーバードは3か月ぶりの実戦で凱旋門賞を迎える。この年は20頭立てのうちメドウコート、仏ダービーやパリ大賞などを制した無敗馬リライアンス、ロシアのダービー馬アニリンら5か国のダービー優勝経験馬が顔をそろえ、アメリカでプリークネスS勝ちなど3歳王者に輝くトムロルフ、ブラブラといった国際色豊かな3歳馬が顔をそろえ、古馬勢にもシーバードと同厩で前年の凱旋門賞では2馬身圏内の4着に善戦したティミーラッドらの実力馬がいた。
レースは直線に向かってリライアンスが他馬を突き放しにかかるも、これを難なく追撃したシーバードが独走。内ラチの近くから馬場の中央に向かってもたれながら、6馬身差を開く圧勝劇で1番人気に応えてみせた。この6馬身差はリボーとサキーに並び、2022年現在も破られていない凱旋門賞の着差レコードだが、真っ直ぐに走っていればさらに広がっていたことは間違いない。
タイムフォーム誌は凱旋門賞の内容を史上最高のレーティング145に評価し、フランケル(2012年)に147を与えるまで最高であり続けた。ちなみに、フランケル以前に公式レーティング最高だったダンシングブレーヴのタイムフォーム・レーティングは140で、ドバイミレニアムやシーザスターズ、シャーガーら5頭と同値の6位タイとされている。
凱旋門賞を最後に引退したシーバードはシンジケートが組まれ、まずアメリカで種牡馬入りした。その中から仏史上最強牝馬と称されるアレフランスや、プリークネスSとベルモントSで二冠達成のリトルカレントらを輩出したが、5年の供用期限からフランスに戻って間もない1973年、疝痛により11歳で早世してしまった。その血は仏チャンピオンサイアーとなったアークティックターンの系統から、リスグラシューの母の父でもあるアメリカンポスト、その産駒のロビンオブナヴァンへと細々とではあるが現在もつながっている。