プロフィール
90年代前半の競馬ファンならば、アーバンシーの名前を聞けば「凱旋門賞馬としてジャパンCに参戦した牝馬」というイメージが強い。現役時代は確かに凱旋門賞を勝ってはいるが、決して突出した強さをもっての凱旋門賞制覇ではなかった。
競走成績を振り返ってみると、デビュー2戦目に初勝利を挙げるも、その後は3歳になっても勝利の2文字を掴めずに苦しんでいた。G1仏オークス(6着)や、G2独1000ギニー(3着)に出走するも結果が出なかったアーバンシーだが、転換期となったのが3歳の夏から。G3ミネルヴ賞で2着に好走すると、続く準重賞のピアジェドール賞で勝利。フランスの3歳牝馬三冠の最終戦であるG1ヴェルメイユ賞では、7番人気タイの伏兵ながらも3着に好走した。
古馬になるとG3エクスビュリ賞を勝利して重賞初勝利。その後は香港遠征なども入り、再びヨーロッパに戻るも善戦止まりだったが、前年同様に夏場から調子を上げていき、連勝して凱旋門賞へ向かった。連勝しているとは言え、決して強い相手に勝ってきたわけではなく、凱旋門賞では11番人気の低評価。この年の凱旋門賞は仏ダービー、ニエル賞を勝ったエルナンド、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS優勝馬オペラハウス、前年のカルティエ賞年度代表馬ユーザーフレンドリーなどの強豪が顔を並べていた。
レースでは7、8番手で虎視眈々と勝利を狙っていたアーバンシー。強豪と言われる上位人気馬同士が牽制し合う中、直線では最内のラチ沿いからスッと抜け出すと、残り200mの辺りから先頭へ。最後はこれまた人気薄のホワイトマズル(15番人気)の猛追を凌いで先頭でゴール。G1初勝利が世界最高峰のビッグレースとなった。「これはフロックだろう」と言われたことは言うまでもない。現にその後、アーバンシーはジャパンCに出走するも8着に終わり、5歳時もG2を1勝しただけ。最終的には24戦8勝、G1勝利は凱旋門賞のみの成績で現役生活を終えた。
普通であればこの成績では“歴史的名馬”とは言い難いが、アーバンシーの評価が高まったのは繁殖入りしてから。初仔のアーバンオーシャンがいきなり重賞勝利を成し遂げると、3番目の子にあたるガリレオは英・愛ダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSを制覇。他にはG1を6勝したシーザスターズなど、錚々たる顔ぶれの仔達を輩出している。特にガリレオは種牡馬としても大成功を収め、アーバンシーの血脈は世界中に広まった。競馬がブラッドスポーツと言われる由縁を考えれば、繁殖牝馬として大成功を収めたアーバンシーは歴史的な名馬と言えるだろう。