プロフィール
後に全米王者へと成長するアリシーバだが、2歳時は見えない壁に当たっているかのように勝ち切れないタイプだった。初勝利を挙げたのはデビュー3戦目の9月。その後にブリーダーズカップジュベナイル3着など重賞戦線で活躍するも、7戦1勝でシーズンを終えた。
明け3歳も勝ちあぐねるアリシーバのJ.ファン・ベルグ調教師は獣医からアドバイスを受け、レース中に見せる癖から呼吸の障害を探り当てる。そして、3月下旬のサンフェリペハンデキャップ2着後に、気道を正常にする喉頭蓋エントラップメントの手術に踏み切った。
その2年前にはタンクスプロスペクトが喉頭蓋の手術を受け、1週後にアーカンソーダービー制覇の成功例があった。ただし、当時は現在ほど実績のある手術ではなく、5月上旬のケンタッキーダービーを狙う身には大きな賭けとなる。そうした状況の中、アリシーバは4月下旬のブルーグラスステークスで復帰を果たすと久々の1位入線。進路妨害で降着になったものの、手術の効果を裏づけて大一番に間に合わせることができた。
迎えたKYダービーではスタート後に両脇から挟まれ、序盤は後方4、5番手の苦しい位置取り。最終コーナーで先頭を射程圏に入れたものの、直線では先に抜け出したベットトワイスの斜行を受け、躓いて落馬寸前と再三の不利を受ける。しかし、アリシーバは猛然と追撃してベットトワイスをねじ伏せ、待望の2勝目をダービーの大舞台で手にした。
プリークネスステークスでもベットトワイスを退けたアリシーバだが、ベルモントステークスではベットトワイスに大きく離されて三冠を逃し、そのまま3連敗。スーパーダービーで巻き返すも、続くBCクラシックでは1歳上のファーディナンドとのKYダービー馬対決に惜敗してエクリプス賞年度代表馬を譲り、1987年は最優秀3歳牡馬に収まった。
アリシーバは4歳も現役を続けるといよいよ本領を発揮し、ファーディナンドに雪辱するなど初戦から3連勝。4戦目はトップハンデもあり宿敵ベットトワイスの後塵を拝したが、その2戦後からBCクラシックまでG1レース4連勝を決めて有終の美を飾った。引退当時の生涯獲得賞金は世界最高だったほか、1988年のエクリプス賞年度代表馬と最優秀古牡馬を受賞。1993年には競馬殿堂入りを果たしている。