プロフィール
ノーザンダンサーといえば競馬に興味を持ったばかりのビギナーでも早い段階で耳にする現代競馬の根幹ともいうべき存在。その血を持たない競走馬を見つけるのが難しいとさえ言えるほど後世に与えた影響は大きく、競馬史においても最重要の一角を占める1頭だ。
文字通りに競馬史を変える存在となっていくノーザンダンサーだが、当初は種牡馬になれない可能性まであった。カナダに拠点を置く名オーナーブリーダーのE.P.テイラー氏が生産・所有し、カナダ年度代表馬にも選出された名馬ニアークティック、同氏が所有して2歳時にはG1スピナウェイSで1位入線(降着)の経験もあるナタルマの間に生まれ、ノーザンダンサーの血統自体は筋が通っていたものの、150㎝少々の小柄な体形にルロ師がテイラー氏に去勢を勧めるほど手を焼いていた荒い気性と将来を嘱望されるような存在ではなかった。
テイラー氏は所有するナショナルスタッドの1歳セールにノーザンダンサーを2万5000ドルで上場するも買い手がつかず、そのまま地元のT.フレミング調教師に預けて2歳8月にデビューさせた。後にセクレタリアトの主戦となる見習い騎手のR.ターコットを背に初陣を飾ったノーザンダンサーは、3戦してからH.ルロ調教師の下へ移籍し、2歳戦で最高賞金のコロネーションフューチュリティなどカナダで7戦5勝。さらにアメリカでレムゼンSなど2連勝してシーズンを終え、カナダ2歳王者に選出されるとともに米クラシック戦線の注目株となる。
ノーザンダンサーはカナダの寒さを避けて温暖なフロリダで休養に入り、その間、痛めていた左前肢の裂蹄を治療。ルロ師がカリフォルニアから腕利きの装蹄師を呼び、ゴムを硬化合成する特殊治療によって快方へ向かった。それでも3歳初戦では3着、ルロ師の指示に反してステッキを使ったジョッキーは1戦で降板となり、新たに名手B.シューメーカーを鞍上に招くとフラミンゴSを楽勝した。
ノーザンダンサーはさらに条件戦をレコード勝ちし、フロリダダービーも1馬身差で勝利。ただ、平凡な内容もあり名手は西海岸の強豪ヒルライズをケンタッキーダービーへのパートナーに選ぶ。ノーザンダンサーはW.ハータックとの新コンビでブルーグラスSを制し、決戦の地へ向かった。
12頭立てとなったKYダービーは、シューメーカーを確保してサンタアニタダービーなど8連勝のヒルライズが1番人気、ノーザンダンサーは2番人気という関係。ヒルライズに続いて第1コーナーに入ったノーザンダンサーは、直線入口で先頭を奪うとヒルライズの巻き返しをクビ差振り切り、カナダ産馬として初のKYダービー制覇を飾る。走破時計の2分フラットはレースレコードで、2021年現在も歴代3位という快記録。5月27日生まれのためレース当日では満3歳に達していなかった。
ノーザンダンサーは続くプリークネスSでもヒルライズに続く2番人気だったが、今度は2着に2馬身1/4差、ヒルライズにはさらにクビ差をつける完勝で二冠を達成する。1番人気に推されたベルモントSは懸念されていた距離に泣き三冠を果たせなかったが、次戦ではカナダ最大のレースであるクイーンズプレートを勝って故郷に錦を飾った。その後、トラヴァーズSへ向けて調整中に屈腱炎を発症して引退するも、カナダ年度代表馬と米最優秀3歳牡馬に選出された。
そして、種牡馬入り後の活躍は正に競馬史を変える偉大なものとなった。2世代目のニジンスキーが英三冠を達成してノーザンダンサーの名声を確かなものとすると、その後もリファールやザミンストレル、ヌレイエフ、ダンジグ、ストームバード、サドラーズウェルズなどなど、競走馬や種牡馬として成功する産駒が次々と誕生。日本でも産駒のノーザンテーストがリーディングサイアー10回など栄華を誇った。その世界的な大成功により、ノーザンダンサーの種付け権利は出生を条件とした初年度(1965年)の1万ドルから、15年後の1980年には出生条件なしで50万ドル、一部は100万ドルで取り引きされるまで高騰したという。1990年にノーザンダンサーは29歳で没するも約600頭の残した産駒たちが世界の血統図を塗り替えた。