プロフィール
麒麟や龍、ユニコーンなど、世に伝わる架空の生物はいくつか存在するが、あるいはセクレタリアトも、そうした神話の世界の生き物なのではないか──そう思わせるほど、大地に刻んだ蹄跡は他と一線を画している。
その競走生活を振り返って白眉とするなら、やはりクラシック三冠戦で見せつけた空前絶後のパフォーマンスに尽きるだろう。1972年7月4日、米独立記念日にデビューしたセクレタリアトのキャリアは、意外にも4着の敗北から始まった。しかし、2戦目からの5連勝をはじめ2歳戦だけで計7勝を挙げ、2歳馬にしてアメリカ年度代表馬に輝く。
ケンタッキーダービー直前のウッドメモリアルSで3着に敗れたセクレタリアトだが、三冠戦に突入してからは文字通り記録破りの快進撃を披露。競馬界の枠を超えた全米のスターへとのし上がっていく。
1973年5月5日、第99回ケンタッキーダービーを迎えたチャーチルダウンズ競馬場には、セクレタリアトを目当てに史上最高(当時)の13万4476人の大観衆が来場。セクレタリアトも度肝を抜く走りで期待に応え、千両役者ぶりを大いに発揮した。後方から向正面に入るとグングンとポジションを上げ、直線残り300mあたりで先頭に立つと2馬身半差をつけてゴール。ダービー史上初めて2分を切る1分59秒4のレコードタイムで完勝した。
続くプリークネスSで難なく二冠を達成したセクレタリアトだが、その走破記録で前代未聞の騒動が巻き起こる。最初に発表された1分55秒0に対し、手動計測の記録員は1分54秒4を主張し、メディアからは1分53秒4と物言いがついた。ピムリコ競馬場を管轄するメリーランドジョッキークラブの裁定により、一度は1分54秒4が公式記録として採用されたが、その後も議論は燻り続け、2012年になって最新のビデオ解析により1分53秒0へと再訂正。実に39年の時を経てレースレコードとして認定されたのだった。
そうして迎えたベルモントSはわずか5頭立て。ウッドメモリアルSでセクレタリアトに先着し、ダービーでも2着に食い下がったシャムが唯一の対抗馬という下馬評だったが、セクレタリアトは中間点付近でシャムを振り切り独走態勢に入る。20馬身にも見える大差を築いて最終コーナーを抜けたセクレタリアトは、直線でもさらにリードを広げて悠然とゴール。ダート12ハロンの世界レコード2分24秒0を樹立した。ちなみに、31馬身という2着馬との着差が世にとどろいているが、これは競馬メディアの『Daily Racing Form』が広角のスチール画像を元に算出した記録が広まったもので公式記録ではない。
確定に長い年月を要した部分はあるが、セクレタリアトが三冠戦で刻んだ走破時計は全てレースレコード。これらは21世紀となった現在も破られておらず、まさに三冠馬の中の三冠馬、競走馬として最高峰の存在がセクレタリアトと言えよう。
その後、3歳秋のラスト2戦で芝のG1とG2を連勝したセクレタリアトは、芝もダートも問わない万能性を披露。絶対的能力を誇示したまま現役を退いた。