プロフィール
生涯無敗の完ぺきな競走成績から「ミスパーフェクト」の異名を取ったパーソナルエンスン。バックパサーやイージーゴアら数々の名馬を世に送り出した伝説の馬産家オグデン・フィップス氏による傑作の1頭で、1歳違いの全兄パーソナルフラッグもG1レースを2勝するなど、生まれた瞬間から隙のないバックボーンを備えていた。
とはいえ、競走生活の序盤は決して順調ではなく、2歳のデビューから2連勝で早々にG1ホースとなった一方、その後に後肢の繋部を骨折して競走能力喪失の危機に立たされた。ボルトを使った大手術により辛うじて回復への望みをつないだものの、次のレースを迎えるまでにはおよそ11か月を要すことになる。3歳秋にようやく再始動したパーソナルエンスンは、復帰4戦目のベルデイムSで2度目のG1制覇を果たし、完全復活を印象づけた。
4歳シーズンのパーソナルエンスンはG1連勝で絶好のスタートを切ると、3戦目にはサバーバンHで牡馬の強豪と対戦する構想が浮上。しかし、兄のパーソナルフラッグも登録していたためG2に回り、1988年の米独立記念日には兄妹同日の重賞制覇を果たす。次戦のホイットニーHでは牡馬との対戦に臨み、G1勝ちのあるガルチ、キングズスワンを真っ向勝負で退けデビュー10連勝とした。続くマスケットSでは牝馬として史上3頭目のケンタッキーダービー馬となった1歳下のウイニングカラーズと激突し接戦を制すると、さらにベルデイムSを圧勝で連覇し、引退戦のBCディスタフに駒を進めた。
ここではウイニングカラーズの他にケンタッキーオークス馬グッバイヘイローも加わり、三つ巴の女王決定戦という下馬評通り、レース史に残る激戦となった。抜群のスタートでハナを切ったウイニングカラーズに対し、後にC.マゴーヒー調教師が「3/8(ハロン=600m)標識で完全に終わったと思った」と述懐したほど、パーソナルエンスンは行き脚がつかない。それでも後方から懸命に食らいつくと、直線半ばを前に3強が抜け出した。パーソナルエンスンは残り1ハロンから2番手のグッバイヘイローをかわし、逃げ粘るウイニングカラーズに肉薄。最後の一完歩でハナ差捕えて3強対決を制し、敗北を知らないまま完ぺきな形で有終の美を飾った。
繁殖入りしたパーソナルエンスンは初仔のマイナーズマークをはじめとしたG1ホースを産み、2番仔のアワエンブレムは種牡馬としてケンタッキーダービーとプリークネスSの二冠馬ウォーエンブレムを輩出。同馬は種牡馬として日本に輸入され、少ない産駒からブラックエンブレムとローブティサージュがG1レースを制している。