04/04 14:00
前哨戦で敗れた牝馬シークレットオース、KYダービー挑戦を断念
プロフィール
日本競馬史において牝馬による日本ダービー制覇は、2007年のウオッカまで3頭を数えるのみだが、奇しくもアメリカにおいてもケンタッキーダービーを制した牝馬は3頭しかいない。その最も直近となる3頭目の栄誉を手にしたのが、1988年のウイニングカラーズだ。
歴史的快挙をもってして、その名を世界に知らしめたウイニングカラーズだが、アメリカ人の次にこの馬を記憶に留めているのは日本人かもしれない。引退後に何頭かの産駒が日本に輸入され、重賞戦線をにぎわせた。 また、7歳年上の半姉オールダンスとプレザントタップとの間に生まれた甥のタップダンスシチーは、ジャパンCや宝塚記念など重賞7勝と一時代を築き上げている。
ウイニングカラーズと日本の縁はそれだけではない。活躍した時代が日本のバブル期と重なっていたこともあり、日本へ輸出された戦友たちが少なくなかった。ケンタッキーダービーひとつを取っても、2着のフォーティナイナーと6着のブライアンズタイムが種牡馬として成功。また、アメリカに残って種牡馬入りしたライバルの中では、7着シーキングザゴールドが世界的な成功を収め、名馬ドバイミレニアムやモーリスドゲスト賞を勝ったシーキングザパールらを通じて日本に名声をとどろかせた。
ウイニングカラーズはケンタッキーダービーの前、サンタアニタダービーとサンタアニタオークスも制してG1レース3連勝を飾っていたが、その後は1年半余り戦い続けながら、ついにG1レースを勝つことなく現役を終えた。しかし、史上3頭という希少性が示す通り、牝馬にとってダービー馬という称号は別格の重みがあり、成し遂げた偉業の価値を勝ち鞍の数だけで量ることはできない。
牝馬のケンタッキーダービー制覇からすでに30年を超える年月が過ぎたが、あるいはこの先も、彼女に続く牝馬を目撃できる日が来ない可能性さえある。2012年に現在のポイント制が導入されたため、牝馬がダービーに出走するためのハードルは以前よりも高くなった。競馬史の1ページを照らすその光は、時を重ねるごとに眩さを増し続けている。
生年 | 1985 |
---|---|
性別 | 牝 |
毛色 | 芦毛 |
父 | Caro |
母 | All Rainbows |
母父 | Bold Hour |
調教師 | D.ルーカス |
生産者 | Echo Valley Horse Farm, Inc. |
馬主 | E. V. Klein |
通算成績 | 19戦8勝[8-3-1-7] |
距離 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
~1400m | 3 | 0 | 0 | 1 | 4 | 75% | 75% | 75% |
1401m~1800m | 4 | 3 | 0 | 5 | 12 | 33% | 58% | 58% |
1801m~2100m | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 50% | 50% | 100% |
2101m~ | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0% | 0% | 0% |
馬場状態 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
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良馬場 | 8 | 2 | 0 | 7 | 17 | 47% | 59% | 59% |
稍重馬場 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0% | 0% | 100% |
重馬場 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0% | 100% | 100% |
不良馬場 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0% | 0% | 0% |