沿革
凱旋門賞は第一次世界大戦におけるフランスの戦勝記念と、戦時下で衰退した競馬産業の再生も期して1920年に創設された。第二次世界大戦の影響で1939年と1940年は開催中止となった。
レース傾向は地元のフランス馬有利が鮮明。過去94回の調教国別勝ち鞍は下記の通りフランスが圧倒している。
フランス 66頭
イギリス 13頭
アイルランド 7頭
イタリア 6頭
ドイツ 2頭
優勝馬は実質的に欧州域外から誕生していないことになるが、2着まで対象を広げても、欧州域外からの該当馬は日本のエルコンドルパサー(1999年)とナカヤマフェスタ(2010年)、オルフェーヴル(2012、2013年)、ニュージーランドのバルメリーノ(1977年)の4頭が計5回を数えるに留まる。
また、凱旋門賞は3歳馬の56kgに対して4歳以上の古馬は59.5kgと、3.5kgもの斤量差(牝馬は1.5kg減)があるため、過去94回中、3歳馬が実に58勝の猛威を奮っている。勝率6割の優位に立ち、過去10年でも7勝と3歳馬の牙城は揺るぎない。
ただ、上記からも凱旋門賞は歴史的に「フランスの3歳馬」が最も勝利に近い存在であるものの、近年は仏ダービーの距離短縮(2400mから2100mへ)や地元開催のニエル賞など前哨戦と、開催日の近いセントレジャー・フェスティバル(イギリス)、チャンピオンズ・ウィークエンド(アイルランド)が強豪馬の誘致に注力しはじめたタイミングも重なり、相対的に地元馬、とりわけ3歳牡馬の影響力が低下している。
さらに、3歳馬有利が明白であるために連覇は至難の業。これまで達成したのはクサール(1921、1922年)、コリーダ(1936、1937年)、タンティエーム(1950、1951年)、リボー(1955、1956年)、アレッジド(1977、1978年)、そしてトレヴ(2013、2014年)の6頭に留まっている。94回の歴史で6頭ということは、日本で牡馬クラシック3冠馬が誕生するより低い確率になる。また、最多勝利騎手は伝説的ジョッキーのイヴ・サンマルタン、その好敵手として名を馳せ、現在は調教師として活躍中のフレディ・ヘッド、日本でもおなじみのオリビエ・ペリエ、そして2015年に逃げ切りを決めたランフランコ・デットーリら6人が4勝で並んでいる。
日本調教馬は過去に17頭が計19戦し、前述の3頭による2着(計4回)が最高。欧州域外からの挑戦としては健闘しているが、他に5番手以内でゴールしたのはディープインパクト(3位入線も失格)と、キズナ(4着)しかおらず、全体的には苦戦傾向にある。