日本馬挑戦の歴史
不慣れな条件の中で、想像以上の健闘を繰り返してきた日本馬たち
ドバイゴールデンシャヒーンは中央競馬に存在しない「ダートの短距離G1」という施行条件もあり、日本調教馬の参戦は決して多くない。しかも、ナドアルシバ競馬場で行われていた2009年までは、日本調教馬が経験し得ないダート直線1200mでの争い。まったく未知の領域に挑まなければならない大きなハンデがあった。
しかし、そうした状況下にあっても、日本馬たちは意外ともいえるほどの健闘を続けてきた。初参戦はドバイゴールデンシャヒーンがG1に昇格した2002年のブロードアピール。豪脚列伝の常連として競馬ファンの記憶に刻まれる稀代の個性派は、世界のスピードに序盤から翻ろうされ、鞍上が追い通しの苦しい追走を余儀なくされた。それでもしぶとく食らいつくと、得意の後半を迎えてグイグイと末脚を伸ばしはじめ、脱落する先行馬たちを次々とパス。勝ち馬には8馬身ほど離されたものの、12、13番手の最後方から5着に押し上げてゴールしたのだった。
2頭目の挑戦となったマイネルセレクト(2004年)は、ブロードアピールと対照的にフォーティナイナー産駒らしいスピードが持ち味。レースでは他の11頭を中間点までリードするなど、世界の強豪に引けを取らないパワーを披露した。結果的にはブロードアピールと同じ5着に終わったが、先行して粘り込む価値ある内容で、勝ち馬から4馬身3/4と世界との差を縮めてみせた。
そして、ナドアルシバ競馬場で最後の開催となった2009年のバンブーエールが魅せた。横一線の隊列の中を進み、ペースが上がった中間点付近で一度は後方まで下がる苦しい場面を迎える。しかし、鞍上の武豊騎手に促されて外ラチ方向へ舵を切るとスイッチが入り、猛然と盛り返して従来の記録を更新する日本馬最高の4着でゴール。3着馬とは半馬身差と上位に迫った。
メイダン競馬場のオールウェザーコースに変わった2010年は、芝のスプリント王ローレルゲレイロが果敢に挑戦。日本調教馬には馴染みのない走路に上手く対応し、バンブーエールと同じ4着と見せ場を作った。勝ち馬との4馬身差は、ドバイゴールデンシャヒーンに挑んだ日本調教馬として最小記録となっている。
年 | 馬名 | 性齢 | 着順 | 騎手 | 調教師 |
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2017 | ディオスコリダー | 牡3 | 11 | S.フォーリー | 高橋義忠 |
2013 | タイセイレジェンド | 牡6 | 12 | R.ムーア | 矢作芳人 |
2010 | ローレルゲレイロ | 牡6 | 4 | 藤田伸二 | 昆貢 |
2009 | バンブーエール | 牡6 | 4 | 武豊 | 安達昭夫 |
2007 | アグネスジェダイ | 牡5 | 10 | 武豊 | 森秀行 |
シーキングザベスト | 牡6 | 11 | 福永祐一 | 森秀行 | |
2006 | アグネスジェダイ | 牡4 | 6 | 吉原寛人 | 森秀行 |
2004 | マイネルセレクト | 牡6 | 5 | 武豊 | 中村均 |
2002 | ブロードアピール | 牝8 | 5 | O.ペリエ | 松田国英 |