沿革
アイリッシュチャンピオンステークス(G1)
2019年9月14日(土)16:15(日本時間 00:15)
アイルランド レパーズタウン競馬場
芝左2000m 3歳以上
負担重量:4歳以上=牡・セン馬 60.5kg、牝馬 59kg 3歳=牡・セン馬 57.5kg、牝馬56kg
賞金総額:125万ユーロ(約1億6250万円)
1着賞金:72万5000ユーロ(約9425万円)
※1ユーロ=130円で換算
アイリッシュチャンピオンステークスは1976年に創設され、当初はジョーマクグラスメモリアルステークスの名称で行われていた。ジョー・マクグラスはアイルランドの政財界で活躍するとともに、1951年の英ダービー馬アークティックプリンスを生産・所有するなど、馬産家としても成功した人物だった。
記念すべき第1回を制したマラケートは愛ダービー馬で地元に縁があったものの、フランス調教馬でいきなりタイトルが流出する事態となった。翌年の第2回も英国調教馬にさらわれ、アイルランド調教馬の初優勝は伝説の伯楽V.オブライエン調教師によってもたらされる。インカーマンで第3回を制したオブライエン師は、フォーダム、グレゴリアン、キングスレイクと、1981年の第6回まで4連覇を達成。これは調教師による連続優勝記録になっている。
1984年にはレパーズタウン競馬場からフェニックスパーク競馬場へ開催場が変更。レース名もフェニックスチャンピオンステークスに改められた。この年は種牡馬としても一時代を築くサドラーズウェルズが制し、オブライエン師にとって最後の勝利(5勝目)となった。1987年の優勝馬トリプティクは凱旋門賞、英チャンピオンステークスを経て来日。凄まじい瞬発力で富士ステークスを圧勝し、日本の競馬界に衝撃を与えた。
フェニックスパーク競馬場が財政難により閉場すると、1991年には再びレパーズタウン競馬場に戻り、同時にレース名をアイリッシュチャンピオンSと再改称して現在に至っている。1990年代にはドクターデヴィアス(1992年)、ペンタイア(1995年)、ピルサドスキー(1997年)と、種牡馬として日本に輸入された馬も優勝した。
1998年以降、2000年代を迎える10年間はゴドルフィンとクールモアグループの二強時代に突入。ゴドルフィンがスウェイン(1998年)、デイラミ(1999年)、ファンタスティックライト(2001年)、グランデラ(2002年)と4勝すれば、クールモアはジャイアンツコーズウェイ(2000年)、ハイシャパラル(2003年)、オラトリオ(2005年)、ディラントーマス(2006、2007年)で5勝と激しく火花を散らした。なお、アイリッシュチャンピオンSを2勝以上しているのはディラントーマスのみ。同馬をはじめクールモアの競走馬を管理するA.オブライエン調教師は、2000年の初勝利からケープブランコ(2010年)、ソーユーシンク(2011年)まで計7勝し、調教師による最多勝利記録を保持している。
その後、昨年までの10年間ではJ.ゴスデン調教師がザフューグ(2013年)、ゴールデンホーン(2015年)、ロアリングライオン(2018年)の3勝で最多。L.デットーリ騎手はゴールデンホーンなど計6勝を挙げて現役最多だが、歴代最多勝利騎手はM.キネーンの7勝となっている。また、2012年の優勝馬スノーフェアリーがマークした2分00秒92はレースレコード(現在の競走名)。同馬は2010年と2011年に日本のエリザベス女王杯も連覇している。
なお、アイリッシュチャンピオンSに出走する日本調教馬は今回のディアドラが史上初。それだけでなく、アイルランドの競馬に日本調教馬が参戦するのも今回が初めてのことになる。