沿革
ケンタッキーダービー(G1)
2019年5月4日(土)18:50(日本時間 5月5日7:50)
アメリカ チャーチルダウンズ競馬場
ダート左2000m 3歳
3歳牡馬・セン馬 57kg(牝馬2kg減)
賞金総額:300万ドル(約3億3000万円)
1着賞金:186万ドル(約2億円)
※1ドル=110円で換算
日本のダービーが競馬の母国イギリスに倣っているのと同様に、ケンタッキーダービーも1872年に欧州を歴訪したメリウェザー・ルイス・クラークの英ダービー観戦が創設の端緒となっている。フランスジョッキークラブとも交流があったクラークは、アメリカにも競馬の大レースを創設するという企画を思いついた。
クラークは帰国後にルイビルジョッキークラブを組織し、おじのジョン・チャーチルとヘンリー・チャーチルから得た土地に競馬場を起こすと、1875年5月17日には1万人の観衆を集めて第1回ケンタッキーダービーの実施に至った。それ以来、今年まで2度の大戦や大恐慌の間も途切れることなく開催され、これはアメリカの全スポーツイベントにおける最長の継続記録となっている。
競馬場は1883年に「チャーチルダウンズ」と呼ばれはじめ、1895年には象徴となっている二つの塔を備えたスタンドが完成。その翌年に12ハロンで行われてきた距離が10ハロンに短縮され、優勝馬に贈られるレイ(首掛け)やロゴにデザインされている赤いバラは、1904年に公式花として採用となった。
こうして現在に伝わるケンタッキーダービーのイメージができ上がると、リグレットが牝馬として初優勝(1915年)し、サーバートンは現在と同じレース間隔の32日間で初の三冠馬(1919年)に輝く。ちなみに「トリプルクラウン」という言葉は、ギャラントフォックスが達成した1930年に、ニューヨークタイムズ紙が使用してから定着していったもの。その翌年の1931年にケンタッキーダービーの開催日が5月の第1土曜日に確定し、これを受けて三冠戦のレース間隔も固まった。1973年にはセクレタリアトが現在も破られていない1分59秒40のレコードタイムで優勝し、圧倒的強さで三冠馬となっている。
近年では1995年にスキーキャプテンが日本調教馬として初参戦。2012年には入場人員16万5307人、ブックメーカーなども含む馬券の総売上1億3310万ドルという新記録が達成された。2013年のレースからは出走馬選定シリーズの「Road to the Kentucky Derby」が導入され、それまでの獲得賞金を基準にしたシステムからレース毎に割り当てられたポイントの獲得数に応じて出走順位が決まるシステムに改められた。2016年にはラニがUAEダービー制覇でポイントを獲得し、日本馬として2頭目の参戦を果たした一方、2017年のレースからは日本調教馬を対象とした「Japan Road to the Kentucky Derby」も新たに設けられ、2019年のマスターフェンサーが適用第1号として参戦する。
なお、牝馬が出走を希望する場合もシリーズで得点する必要があるが、そのポイントはケンタッキーオークス用のシリーズポイントに転用することができる。また、フルゲート(20頭)に満たない場合、残りの出走枠は獲得賞金順によって決定するため、ポイントのない牝馬でも出走可能になる。