日本馬挑戦の歴史
圧倒的1番人気で迎えられるも、徹底マークに屈したエイシンヒカリ
着飾った紳士淑女が集う華やかな雰囲気の中で行われるロイヤルアスコット開催にあって、最大の呼び物として注目を集めるプリンスオブウェールズステークス。創設から150年余りが経過した一方、G1昇格後の歴史は20年足らずしかなく、ここまで日本調教馬の参戦は2頭と多くはない。
2015年に初参戦を果たしたスピルバーグは、3歳時にプリンシパルステークスを制して日本ダービーに駒を進めるなど、早くから将来を嘱望される存在だった。しかし、その後は順調さを欠いて4歳時には3戦しかできず、素質を大きく開花させたのは5歳になってからだった。5月に2年ぶりのオープン勝ちを飾って秋を迎えたスピルバーグは、天皇賞でドバイシーマクラシックの覇者ジェンティルドンナを撃破。八大競走で初の重賞タイトルを手にすると、6歳でプリンスオブウェールズS遠征を敢行した。
9頭立てで争われることになったレースは、スピルバーグを除き全て4歳馬という組み合わせ。アウェーで勢いのある相手たちにも末脚勝負の自分の競馬に徹し、最終コーナーから激しい追いくらべを展開した。馬群の外から進出を開始したスピルバーグに対し、内をこじ開けるように馬体を寄せてきたのは後にカナディアンインターナショナルを勝つカノックチェイス。直線半ばまで馬体をぶつけ合った末に先を譲らなかったスピルバーグだが、前方との差は詰まることなく6番手でのゴールに終わった。
この挑戦の半年後、エイシンヒカリが香港カップを鮮やかに逃げ切ってG1初制覇を飾る。エイシンヒカリは休養を経て欧州遠征に出ると、初戦のイスパーン賞を衝撃の10馬身差圧勝。目標に据えていたプリンスオブウェールズSに向け、英国での人気が沸騰した。
3週後の本番では、3か月半後の凱旋門賞をレコード勝ちするファウンドを2番人気に従え、圧倒的1番人気で迎えられたが、レースは思わぬ結末を迎える。当日は日本でなかなか経験できないような重馬場。ゲートを決めて得意の逃げに出たエイシンヒカリの背後で、前年はスピルバーグに先着したウエスタンヒムがマークするなど、6頭立ての全馬が5馬身圏内の一団で進み、息を入れにくい流れとなった。
エイシンヒカリは先頭をキープしたまま直線に向いたものの、4番手を追走していたファウンドに残り400mを切った所で一気に捕まり勝機を失う。エイシンヒカリは懸命に3着争いに踏みとどまったが、ゴール前で力尽きて最下位に終わった。
年 | 馬名 | 性齢 | 着順 | 騎手 | 調教師 |
---|---|---|---|---|---|
2016 | エイシンヒカリ | 牡5 | 6 | 武豊 | 坂口正則 |
2015 | スピルバーグ | 牡6 | 6 | C.スミヨン | 藤沢和雄 |