05/10 11:55
無敗馬アガヴェに土、スタディオブマン輩出の仏G2グレフュール賞はオネストが快勝
プロフィール
1999年10月3日、フランスはロンシャン競馬場。日本から詰めかけた多くの競馬ファンの歓声が大きな溜息に変わった。凱旋門賞に出走したエルコンドルパサーが、日本競馬の悲願目前に迫りながらも最後は僅差の2着に敗れ、改めて凱旋門賞を勝利することの難しさを知った瞬間だった。その時に大きな壁として立ちはだかり、欧州競馬の底力を見せつけたのがモンジューだった。
モンジューはデビューから3連勝で初重賞制覇を決めると、G1リュパン賞こそ展開のアヤで2着に敗れたものの、大一番の仏ダービーでは本領を発揮。4馬身差の快勝でフランス3歳勢の頂点に立った。次走の愛ダービーではモンジューの実力を測るには申し分のない相手が揃ったが、後方から早めにまくった直線でも1頭だけ違う脚色で圧勝。2着に入った英ダービー2着馬ダリアプールに5馬身差を付けており、この時点でモンジューが欧州3歳馬の頂点に立ったと言っても過言ではない。
秋初戦のニエル賞は僅差ながらも勝利を収め、休み明けも順調さをアピールしたモンジュー。一方、日本のエルコンドルパサーはサンクルー大賞で海外G1初制覇を決め、前哨戦のフォワ賞も勝って2連勝。こちらもモンジュー同様に凱旋門賞制覇へ向けて視界は良好だった。そして、運命の対決を迎える。
凱旋門賞当日のロンシャン競馬場の馬場状態は、大荒れの不良馬場。レースはエルコンドルパサーが他馬を引き連れて逃げる形で幕を開ける。強烈な重馬場だったことも影響してか、モンジューは定位置の最後方ではなく中団に位置取り。そのままエルコンドルパサーが先頭で最後の直線に入ってくると、そこからモンジューの強烈な末脚が爆発。粘るエルコンドルパサーを最後はモンジューが半馬身ほど交わして優勝。欧州3歳王者が世界一の座を掴みと同時に、日本の競馬関係者の夢が儚く散った瞬間だった。
その後、モンジューは欧州最強馬としてジャパンカップに参戦。慣れない長距離遠征の影響で4着に敗れたが、翌シーズンにはキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドSなどG1を3勝。秋には凱旋門賞連覇を狙うも4着、最後はBCターフで7着に敗れて引退となった。
“20世紀最後”の欧州最強馬として名高いモンジューだが、多くの日本のファンにとってはエルコンドルパサーの宿敵として、鮮明に記憶に刻まれているだろう。
生年 | 1996 |
---|---|
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | Sadler's Wells |
母 | Floripedes |
母父 | Top Ville |
調教師 | J.ハモンド |
生産者 | |
馬主 | クールモア |
通算成績 | 16戦11勝[11-2-0-3] |
距離 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
~1400m | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0% | 0% | 0% |
1401m~1800m | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 100% | 100% | 100% |
1801m~2100m | 2 | 2 | 0 | 0 | 4 | 50% | 100% | 100% |
2101m~ | 7 | 0 | 0 | 3 | 10 | 70% | 70% | 70% |
馬場状態 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
良馬場 | 6 | 1 | 0 | 3 | 10 | 60% | 70% | 70% |
稍重馬場 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 50% | 100% | 100% |
重馬場 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 100% | 100% | 100% |
不良馬場 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 100% | 100% | 100% |