プロフィール
20世紀末の豪州中・長距離路線ですい星の如く頭角を現し、次々と記録を打ち立てたマイトアンドパワー。果敢に先行してライバルたちの追随を許さない競走スタイルは、力強さにあふれる名前の通りだった。
マイトアンドパワーの現役期間は1996年6月のデビューから2000年9月までの4年3か月だが、晩年を脚部不安による長期休養に費やしており、実質的な稼働期間は2年半といったところ。そのうち、軌道に乗ったちょうど1年間でG1レースを7勝し、豪州の競馬史に名を刻んだ。
マイトアンドパワーは3歳秋のカンタベリーギニーで重賞に初挑戦して2着に好走したものの、その後はオーストラリアンダービー4着など連敗し、3歳最終戦の1997年4月にようやく重賞初制覇を果たした。明け4歳も序盤は重賞で勝ち切れずにいたが、距離を大幅に延ばしたコーフィールドCで眠っていた素質を突如として開花させる。
この時点でG3を1勝だけのマイトアンドパワーはハンデ52.5kgの格下扱いだった。しかし、先行争いを制して先頭をひた走ると、最終コーナーから見る見るリードを広げ、レース史上最大の7.5馬身差で圧勝。2分26秒2のトラックレコードも叩き出した。圧巻のパフォーマンスにより、次戦のメルボルンCではハンデを3.5kgも増量され、さすがにレースも苦しいものとなったが、再び逃げて突き放すスタイルで懸命に粘り抜き、最後は首を下げたタイミングで際どく勝利。約120年(当時)の歴史で10頭目の「カップス・ダブル(両レース連勝)」を、後にも先にも唯一という逃げ切りで達成した。
ちなみに、両レースで2着のドリーマスも2年前にカップス・ダブルを達成した名馬。マイトアンドパワーを追い詰めたメルボルンCの入線後には、鞍上が盛んに拳を突き上げて2勝目をアピールするほどの、ほんのわずかな差しかなかった。
一躍、スターダムに駆け上がったマイトアンドパワーは、休養から復帰した秋も徐々に距離を延ばしながら体調を上げ、メルセデスクラシックで3度目のG1制覇。そして、秋最大の呼び物であるクイーンエリザベスSを10.5馬身差、ドゥームベンCをトラックレコードで快勝するなど4連勝で締め、1997/1998シーズンの豪年度代表馬に選出された。
5歳時は春のみの稼働でG1レース2勝を含む6戦4勝に終わったが、2季連続の豪年度代表馬に選ばれている。このシーズンはコーフィールドCとメルボルンCに参戦せず、その中間に行われるコックスプレートをレコード勝ち。春の3大レース制覇は1954年のライジングファスト以来、44年ぶり史上2頭目、メルボルンCの覇者がコックスプレートを勝つのは、豪州の国民的アイドルと慕われた1931年のファーラップ以来、67年ぶりという快挙を成し遂げた。その後には招待されたジャパンCの参戦を目指すも輸送の都合で断念。年明けに脚部不安を発症して長期休養に入った。
脚部不安との戦いは1年半余りに及び、2000年春にようやく戦列復帰を果たしたものの、往時の走りを取り戻せずに2戦で現役を退いた。セン馬のため余生は引退馬繋養施設のリビングレジェンズで過ごし、2002年には豪競馬殿堂入り。2020年4月、疝痛により26歳で天国へ旅立った。