プロフィール
1999年の凱旋門賞で快挙へあと一歩と迫るエルコンドルパサーの夢を打ち砕いたフランスの至宝モンジュー。その初年度産駒として父の名声をさらに高める大活躍を見せたのがハリケーンランだ。愛ダービー、凱旋門賞、タタソールズゴールドC、そしてキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドSで挙げたG1レース4勝は、父の6勝にこそ及ばなかったものの、すべて父子制覇という親孝行ぶり。日本が誇る最強馬たちと渡り合う存在感まで父譲りだった。
ハリケーンランはモンジューが勝利した地元の仏ダービーでG1に初挑戦したが、4馬身差で圧勝した父に対して自身には少々不運があった。仏ダービーはハリケーンランが3歳を迎えた2005年に、距離が2400mから2100mへ短縮。その結果、自身よりスピードに秀でた仏2000ギニー馬シャマーダルをクビ差捕らえ切れずに惜敗した。しかし、次戦の愛ダービーでG1初制覇を飾ると、ニエル賞から凱旋門賞へと2400mの王道で3連勝。その後に予定していたブリーダーズカップ遠征は咳の症状が出たため回避したが、カルティエ賞年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選出され、名実ともに欧州最強の座に就いた。
明け4歳の始動戦は3頭立てのタタソールズGCを7馬身差で圧勝。続くサンクルー大賞は直線早々に抜け出した所を牝馬のプライドに強襲され、アタマ差でまさかの2着と取りこぼしたが、最強の評価に変わりはなく次戦のキングジョージで日本のハーツクライを迎え撃つ。
6頭立ての一戦はハリケーンランの単勝1.83倍を筆頭に、前走でドバイシーマクラシックを圧勝のハーツクライが4倍、ドバイWC勝ちからプリンスオブウェールズS2着のエレクトロキューショニストが5倍で続く3強対決の図式。レースは直線で3頭が代わるがわる先頭に立つ壮絶な叩き合いを演じた末、ハリケーンランが最後の100ヤードから半馬身抜け出して勝利をもぎ取り、欧州最強馬の面目を保った。
そして、前哨戦のフォワ賞から向かった凱旋門賞ではディープインパクトとの対決が実現する。ハーツクライを撃破したハリケーンランは、日本の悲願を背負う切り札の前に立ちはだかる最大の障壁。戦前は一騎打ちのムードが充満していた。ところが、レースは思わぬ結末を迎える。ハリケーンランは先行するディープインパクトをマークして背後から内にコースを取ると、直線で行き場を失い後退。猛然と巻き返したものの、4番手でゴールと消化不良の内容に終わった。一方のディープインパクトは3位入線も禁止薬物が検出されて失格。ハリケーンランは3着に繰り上がり、結果的に日本の最強馬たちに負けることはなかったが、凱旋門賞連覇の偉業を逃した事実までは変えられなかった。
その後は英チャンピオンS、前年に回避したBCターフも連敗して引退。結局、キングジョージでの激走が最後の雄姿となった。引退後は父モンジューの後継と期待されて種牡馬入りしたものの目立った産駒を残せず、2016年末に自身の生産者で繋養先でもあるドイツのアマーラント牧場で亡くなった。