プロフィール
日本ではサンデーサイレンスのライバルとして知られるイージーゴア。もし一方が存在しなければ、米競馬史に三冠馬がもう1頭増えていたと評される実力を有していた両雄は、生まれ落ちた時から不思議な縁で結ばれていた。誕生日はイージーゴアが4日早いだけで、産声をあげた牧場も広大な米国にあって8マイル(約13㎞)しか離れていない。しかも、サンデーサイレンスのストーン牧場はアーサー・ハンコック氏、イージーゴアのクレイボーン牧場はセス・ハンコック氏と兄弟が経営していた。
イージーゴアはニューヨーク競馬協会を設立するなど東海岸の名士だったオグデン・フィップス氏の自家生産で、父は名馬アリダー、母は1981年のエクリプス賞最優秀古牝馬、姉もG1ホースというエリート。2歳8月のデビュー戦こそハナ差で敗れたものの、2戦目からは2つのG1レースを含む4連勝で期待に応え、栗毛の雄大な馬体も相まってセクレタリアトの再来と騒がれはじめる。チャーチルダウンズ競馬場で開催されたBCジュベナイルでは初の重馬場で追走に苦しみ、直接対決で3勝していたイズイットトゥルーに敗れるが、それでも2歳王者に選出されるほどの存在感を放っていた。
3歳を迎えたイージーゴアは2戦目のゴッサムSを13馬身差、1分32秒4(8ハロン)の全米3歳レコードで制すなど3連勝し、ケンタッキーダービーでサンデーサイレンスとの初対戦に臨む。前哨戦で破格のパフォーマンスを連発の超良血馬イージーゴアが単勝1.8倍の1番人気、サンタアニタダービーを11馬身差で圧勝しながら地味な血統のサンデーサイレンスは2番人気だった。しかし、チャーチルダウンズ競馬場はBCジュベナイルと同様の重馬場となり、イージーゴアはサンデーサイレンスの影も踏めず2着に敗れてしまう。
それでもイージーゴアへの支持は衰えず、プリークネスSでは単勝1.6倍とさらに厚い人気を集めた。レースは第3コーナー手前でイージーゴアが先に仕掛け、追い抜かれたサンデーサイレンスも巻き返して最終コーナーから一騎打ちとなる。鞍上のP.デイはイージーゴアの顔を外のライバルに向けて闘志をかき立て、気性の激しいサンデーサイレンスも望むところばかりに応戦。米競馬史上最高と評される激闘が演じられるも、イージーゴアに与えられたのはハナ差での敗者役だった。熱戦はデイによる進路妨害の異議申立てがあったものの、審議を経ても結果を変えるには至らなかった。
父アリダーが三冠戦で全て2着だった経緯もあり、ベルモントSでのイージーゴアは生涯唯一の2番人気に甘んじることになった。しかし、今度は違った。サンデーサイレンスをマークしたイージーゴアは、最終コーナーから並ぶ間もなく抜き去って8馬身差を開く独走劇。あのセクレタリアトのレコードに次ぐ2分26秒0の快時計で一矢報いてみせた。
夏場も休まず稼働したイージーゴアは、古馬を退けるなどベルモントSからG1レースを5連勝。その間、2戦だけで同世代にも敗れたサンデーサイレンスとの評価を再び逆転し、BCクラシックで4度目の対決に臨んだ。ところが、第3コーナーで後れを取ると懸命の挽回も及ばず、またしても大一番でサンデーサイレンスの後塵を拝す屈辱。年度代表馬の座を大差で宿敵に譲る結果となった。
イージーゴアは4歳のサバーバンHで9度目のG1制覇を果たすも、脚部不安に見舞われ3戦で引退。巨額シンジケートが組まれて種牡馬入りした。しかし、アレルギー性の発作により8歳で夭逝し、3頭のG1勝ち馬を残したものの自身から父系をつなぐことは叶わなかった。