プロフィール
全ての能力、限界を見せないまま競技生活に別れを告げたアスリートは、見守ってきた者に夢やロマンを残し、時に悔恨のような複雑な感情も抱かせる。サキーは現役時代にG1レースを2勝。数の上では決して多いと言えないが、戦った相手や傑出した勝ちっぷりで底知れぬ潜在能力をうかがわせた名馬だ。
今は亡きハムダン殿下が、自身の率いるシャドウェルで自家生産したサキーは、マイルG1を2勝の父バーリ、ロイヤルアスコット開催のリブルスデールSを勝った母タワキブも管理したJ.ダンロップ調教師に預けられた。3戦2勝で2歳戦を終えると、7か月の休養から明けた3歳初戦はG3クラシックトライアルSで重賞初挑戦、初制覇。続くG2ダンテSも快勝し、4連勝で英ダービーに駒を進めた。
2番人気で迎えたダービーでは2番手を手応え良く追走し、残り2ハロンを前に先頭へ。しかし、離れずついてきた4番人気タイのシンダーに差し切られて1馬身差の2着に敗れた。それでも、1番人気ビートホロウ(3着)には5馬身差をつけて実力の一端を見せ、続くエクリプスSでは歴戦の猛者たちを抑えて1番人気の支持を集める。
ところが、ここでもジャイアンツコーズウェイの4着に終わるとレース後にヒザの故障が判明。さらに喉の感染症や脚部の打撲などが相次ぎ、1年にわたって実戦から遠ざかることになってしまう。また、この間にハムダン殿下の弟であるモハメド殿下が筆頭馬主に代わり、ゴドルフィン専属のS.ビン・スルール厩舎に移籍。新たな体制の下で377日ぶりの復帰戦を圧勝し、1か月後の英インターナショナルSでG1の舞台に舞い戻った。
そして、ここでうっ憤を晴らすかのように強烈なパフォーマンスを披露する。3番手を追走したサキーはヨーク競馬場の長い直線で早々に先頭に立つと、残り2ハロンから7馬身差を開いてG1初制覇。2着のグランデラは翌年にゴドルフィンの所有となってプリンスオブウェールズSなどG1を3勝するが、そうした強豪を全く寄せつけなかった。
次戦の凱旋門賞でも強さは変わらず、仏オークスとヴェルメイユ賞勝ちの無敗馬アクアレリスト(2着)に6馬身差をつける圧勝劇。6馬身差はリボー(1956年)とシーバード(1965年)という、競馬史に残るレジェンドホースに並ぶ着差レコードで、これは2022年の時点でも破られていない。また、鞍上のL.デットーリ騎手にとってはG1レース100勝の節目の勝利となった。
この後は英チャンピオンSを視野に入れていたが、目標を米ブリーダーズカップ開催に変更すると、直前になってBCターフから経験のないダートのBCクラシック参戦が決定。一つには同じゴドルフィンのファンタスティックライトと使い分ける狙いがあった。ただ、僚馬は芝12ハロン(2400m)での戦績が芳しくなかったことに加え、舞台となるベルモントパーク競馬場のダートコースでは、サキーよりファンタスティックライトの方が速い調教タイムを計測していたこともあり、地元・ニューヨークのメディアを中心に懐疑的とも批判的とも取れる目を向けられた。
この決断を下したのは、オーナーシップに関与していたハムダン殿下で、ビン・スルール師もドバイでの両雄は芝とダートの双方で調教していると、批判的な意見にも動じることはなかった。結果的にサキーは史上初のBCクラシック連覇を果たしたアメリカの雄ティズナウと死闘を演じてハナ差の2着に惜敗するが、ファンタスティックライトが無事にBCターフを制したことで、使い分けの決断が誤りでなかったことを証明した。
5歳から再びハムダン殿下の所有に戻ったサキーは2月にドバイで始動し、一般戦を圧勝してドバイWCに向かった。日本からアグネスデジタルとトゥザヴィクトリーも遠征した一戦では優勝候補の筆頭だったが、皮肉にも前年まで僚友だったストリートクライらに完敗。その後に再びヒザを痛めるなど調整が進まず、1戦しかできないまま引退することになった。
サキーは翌2003年からシャドウェルの所有牧場で種牡馬入りし、クイーンエリザベス2世Cやドバイデューティフリー勝ちのプレスヴィス、仏2000ギニー馬ティンホースなど3頭のG1ホースを輩出したものの成功には遠く、2016年に種牡馬を引退。2021年に24歳でこの世を去った。