プロフィール
生涯成績は11戦10勝。唯一の黒星もねじ伏せられた結果ではない。走るたびに新記録を叩き出す無敵のヒロインが、不慮の事故でベルモントパーク競馬場の露と消えるまでのストーリーは、文字通りに全米が泣いた悲劇のノンフィクションとして今日に伝わっている。
2歳5月にベルモントパーク競馬場で迎えたラフィアンのデビュー戦は鮮烈なものだった。圧巻の15馬身差逃げ切りで、トラックレコードにいきなり並んでみせた。その後も、重賞4連勝を飾るなど怒とうの快進撃を展開。8月には右後脚の足首を亀裂骨折してシーズン全休を余儀なくされたものの、G1レース2勝を含む圧倒的な戦績が評価されて2歳女王に輝いた。
3歳4月に実戦復帰したラフィアンは、足慣らしの条件戦を大差勝ちして復活の狼煙を上げる。さらにG3カムリーSから当時の「ニューヨーク牝馬三冠」に矛先を向け、エイコーンS、マザーグースSまでレースレコードで3連勝。最後のCCAオークスもタイレコードでデビュー10連勝とし、もはや3歳牝馬に敵なしは明白な状況となった。
規格外の強さを見せつけてきたラフィアンなら牡馬にも負けない──ファンや関係者の興味が牡馬との対戦に向けられるのは必然だった。そうして、紆余曲折を経ながら同世代のケンタッキーダービー馬フーリッシュプレジャーとのマッチレースが実現。ベルモントパーク競馬場のダート10ハロンを舞台とする一騎打ちには全米の注目が集まった。しかし、決戦は呆気なくも突然に終わりを迎えることとなる。
ゲートを飛び出したラフィアンに外からフーリッシュプレジャーがマークし、序盤から激しい主導権争いを繰り広げる。2ハロンを猛烈なスピードで通過した刹那だった。ラフィアンは大きくバランスを崩して歩様を乱し、競走中止に追い込まれてしまう。右前脚種子骨が砕けていた。直ちに手術が施されたものの、麻酔から覚めたラフィアンは痛みと患部を固定するギプスの違和感に我を失い、暴れ回った末に無傷だった左脚まで骨折。安楽死の処置がとられたラフィアンの亡骸は、ベルモントパーク競馬場の内馬場に埋葬された。
ラフィアンの死が競馬界に与えた衝撃は大きく、これを機に最強馬決定戦のようなマッチレースが行われることはなくなった。ラフィアンが史上最強牝馬と信じる人々は今も多く、夭逝が惜しまれてならない。