沿革
9月11日(日)
フランス シャンティイ競馬場
第3R ニエル賞(G2)
発走時刻 15:00(日本時間 22:00)
芝右2400m
3歳牡馬 58kg(牝馬1.5kg減)※セン馬不可
総賞金:13万ユーロ(約1495万円)
1着賞金:7万4100ユーロ(約852万円)
1ユーロ=115円で換算
本来はロンシャン競馬場の芝2400mにおいて施行されるが、2016年は改修工事に伴いシャンティイ競馬場の2400mで争われる。ただ、ニエル賞はもともとシャンティイ競馬場で行われていたレースであり、距離3100mで3歳以上が出走可能な、その名もシャンティイ賞というレースだった。
1952年に一旦はロンシャンの2400mという現在と同じ施行条件になったものの、距離や競馬場などの変更を繰り返し、1955年のフォワ賞新設に伴い3歳限定の2400m戦となっている。1971年にはグレード制導入によりG3格付け。1972年にフランス馬種改良奨励協会に貢献したガストン・ニエル伯爵の功績を記念してニエル賞へと改称され、1987年のG2昇格で現行の競走条件に至った。
1970年代の優勝馬は日本と縁が深く、スティンティノ(1970年)、ハードツービート(1972年)、ミシシッピアン(1974年)、アンズプリテンダー(1975年)、クリスタルパレス(1977年)、ゲイメセン(1978年)と実に6頭が種牡馬として日本に輸入されている。また、1973年の優勝馬ダリアは、後にキングジョージ6世&クイーンエリザベスSを圧勝するなど史上最強に推す声もある名牝で、産駒のダハール、リヴリア、ディカードレムが種牡馬として来日。リヴリアは皐月賞馬ナリタタイシンを輩出した。
凱旋門賞と同じロンシャン競馬場の2400mを舞台とし、関連性の深さを指摘されるニエル賞だが、存在感を発揮しはじめたのは1990年代から。1968年のヴェイグリーノーブルからG2に昇格した1987年のトランポリーノまで、ニエル賞と凱旋門賞を連勝した馬は19年間も存在しなかった。しかし、1994年にカーネギーが両レースを連勝すると、2006年までに7頭が続き、それ以外にも1頭がニエル賞経由で凱旋門賞を制すなど、12年間で計9頭がニエル賞から凱旋門賞に駒を進めて優勝。ニエル賞組強しを印象づけた。
ところが、2005年に6月上旬の仏ダービーが2400mから2100mに短縮されたのを契機に状況が一変。7月中旬のパリ大賞(G1、3歳限定)が2000mから2400mに延長されて凱旋門賞と同じ舞台設定になり、ニエル賞を経由するローテーションが強固なものになると思われた。しかし、距離短縮によってダービーの中距離志向が高まる一方、パリ大賞にはダービーほど質の高い出走馬が集まらず、2007年以降はニエル賞だけでなくダービーもパリ大賞も、凱旋門賞につながらないレースとなっている。
凱旋門賞は歴史的に地元の3歳馬が強いレースだが、ニエル賞組が停滞するようになっても、同日同距離で行われるヴェルメイユ賞は優勝馬を輩出しており、ニエル賞というレースの価値が低下したとは考えられない。マカヒキのようにフランス国外の2400mで能力を実証済みの3歳馬なら、その優位性を呼び覚ますことも十分にあるだろう。