歴史、規模とも随一のオーストラリアを代表する競馬場。メルボルン入植が始まったのは1835年だが、わずか5年後の1840年3月には現在のマリビルノン河畔の土地で最初の競馬が開催された。当初は「メルボルン競馬場」として知られていたが、市街地から向かう途中で通過する私有地が、所有者の妻の出身地であるスコットランドの街にちなんで「フレミントン」と称されていたことから、1850年代のゴールドラッシュに伴い街が急発展する頃には、メルボルン競馬場も「フレミントン競馬場」と呼ばれるようになっていたという。中心地から5kmという絶好のロケーションで、オーストラリア第2の都市の成長とともにあり続けてきた競馬場は、2006年に国家遺産の指定を受けている。
街が発展の最中にある1855年のヴィクトリアダービーをはじめ、1861年にはメルボルンCを創設するなど、現在も国内有数の大レースを多く開催。とくにメルボルンCは「The Race That Stops The Nation(=国を止めるレース)」と表されるほどの熱狂を呼び、レース開催日である11月第1火曜日のメルボルン地区は祝日になる。
2006年には日本からデルタブルースとポップロックがメルボルンCに参戦し、ワンツーフィニッシュの歴史的快挙を成し遂げている。デルタブルースの勝利は日本調教馬として初の豪州G1制覇だった。