11/03 14:35
米メディア選出の歴代BC勝ち馬ランキング、サンデーサイレンスが6位に
プロフィール
サンデーサイレンスの名を知らぬ日本の競馬ファンは恐らくいないだろう。そう言えるほど日本競馬史に大きな影響を与えた存在だ。サンデーサイレンスの名が日本で知れ渡ったのは種牡馬になってからで、ディープインパクト、スティルインラブといった3冠馬をはじめ、スペシャルウィーク、サイレンススズカなど数々の名馬の父としてその名を轟かせた。しかし、彼の現役時代は波乱万丈で実にドラマティックなものだった。
2歳時の競走成績はまずまずといったところで、彼が注目を集めるようになったのは3歳から。3月に条件戦で2勝目を挙げると、G2のサンフェリペHも勝利。続くG1初挑戦となったサンタアニタダービーでは2着に11馬身差を付ける圧勝劇を演じ、瞬く間に3冠戦線の主役候補に名乗りを上げた。
しかし、ケンタッキーダービーで1番人気に推されたのは、エクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれたイージーゴア。サンデーサイレンスは2番人気の評価だった。レースは好スタートから先行集団につけたサンデーサイレンスをイージーゴアが追い掛ける展開。直線では左右に蛇行しながらのスパートで、通常では考えられない走りのサンデーサイレンスだったが後続の追撃を余裕で振り切りゴール。下馬評を覆し米3冠の最初のタイトルを手にした。
続くプリークネスSは完全なる一騎打ちの様相を呈し、イージーゴアとの抜きつ抜かれつの激しい展開となった。直線の攻防では首の上げ下げが勝敗を分ける形となり、最後は僅差でサンデーサイレンスが抜け出して勝利。サンデーサイレンスの強さは本物だと多くの関係者やファンに知らしめた。ベルモントSではイージーゴアが意地を見せ、2着のサンデーサイレンスに8馬身差を付けて快勝したが、サンデーサイレンスの評価は決して下がることはなかった。
その後、スーパーダービーで4つ目のG1タイトルを獲得し、11月には秋の大目標であったBCクラシックに駒を進めた。イージーゴアとの4度目のライバル対決が実現。レースはサンデーサイレンスがいつも通り先行集団につけて、それを見るようにイージーゴアが追走する形で流れていく。直線でもサンデーサイレンスの脚色は全く衰えず先頭でゴール板を駆け抜けた。ベルモントSでの借りを返すと共に、この勝利が決め手となりエクリプス賞年度代表馬に選出された。
引退後は米国で第2の人生を送る予定だったが、種牡馬としての評価は低く、初年度の種付けの申し込みも僅かであった。そこに当時の社台グループ代表である吉田善哉氏が白羽の矢を立ててサンデーサイレンスを購入。これが大英断となり、日本競馬界の発展になくてはならない大種牡馬となった。
日本での最後は16歳の時に蹄葉炎を発症。懸命な治療が行われたが、最後は衰弱性心不全を引き起こして死亡した。実に波乱に満ちた生涯だったが、結局のところ現役時も種牡馬時も彼を信じ続けた者だけが、幸運を掴んだといえよう。
生年 | 1986 |
---|---|
性別 | 牡 |
毛色 | 青鹿毛 |
父 | Halo |
母 | Wishing Well |
母父 | Understanding |
調教師 | C.ウィッティンガム |
生産者 | Oak Cliff Thoroughbreds, Ltd. |
馬主 | Gaillard-Hancock Iii-Whittingham |
通算成績 | 14戦9勝[9-5-0-0] |
距離 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
~1400m | 2 | 2 | 0 | 0 | 4 | 50% | 100% | 100% |
1401m~1800m | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 100% | 100% | 100% |
1801m~2100m | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 67% | 100% | 100% |
2101m~ | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0% | 100% | 100% |
馬場状態 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
良馬場 | 7 | 5 | 0 | 0 | 12 | 58% | 100% | 100% |
稍重馬場 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0% | 0% | 0% |
重馬場 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 100% | 100% | 100% |
不良馬場 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 100% | 100% | 100% |