04/07 11:50
米最優秀繁殖牝馬、マラサートらの母ドリーミングオブジュリアが選出
プロフィール
エーピーインディは仔馬の頃から関係者の耳目を集める存在だった。半兄サマースコールが1990年のプリークネスSに優勝し、父は史上初の無敗三冠馬シアトルスルー、母の父は三冠レースを全てレースレコードで制したセクレタリアトという夢の配合。キーンランド7月の1歳セールに上場されるや、290万ドルの最高額で落札された。
また、同セール2位にはファピアノ産駒が200万ドルで落札された。後にエーピージェットと命名されるこの馬は日本でデビューし、京成杯を勝つなど息の長い活躍を見せた。両馬は同じ日本人オーナーが所有し、馬名につく「エーピー」の冠名は、オーナーが大分県に開設したサーキット場のオートポリス(Autopolis)にちなんだものだ。
デビューしたエーピーインディは初戦こそ4着に敗れるも、2戦目から快進撃を開始する。4戦目に重賞初挑戦のハリウッドフューチュリティでG1制覇を飾ると、明け3歳のクラシックシーズンも西海岸最大の前哨戦であるサンタアニタダービーを快勝。そうして迎えたケンタッキーダービーでは、米仏2歳戦線を席巻した“ワンダーホース”ことアラジとの対決が注目を集めた。
しかし、エーピーインディは左前肢の裂蹄によりダービー当日に無念の回避。一方のアラジも大敗を喫してクラシック戦線から離脱する。エーピーインディは2週後のプリークネスSも断念したが、アクリル樹脂を用いた陣営の治療が功を奏して3週後のピーターパンSで戦列に戻ると、続くベルモントSでは圧倒的な人気に応えて勝利。7連勝とし、奇跡的に最後の一冠を手にすることができた。
その後は無理せず3か月の休養を挟んだものの、復帰戦は5着。古馬との初対戦に臨んだジョッキークラブゴールドカップも発馬で躓き、大きく出遅れて3着に終わる。また、このレース中に再び蹄を痛め、大目標のBCクラシックへ暗雲が垂れ込めた。
しかし、この危機をダービー後と同じように処置し乗り切ると、3週後の本番はジョッキークラブゴールドカップで後塵を拝したプレザントタップに2馬身差をつけて雪辱を果たし、1992年エクリプス賞年度代表馬の座を手中に収めた。この勝利を最後に引退したエーピーインディは、種牡馬入り後も北米リーディングサイアーに輝き大成功。シアトルスルーに連なる王者の系譜は、同じく北米リーディングサイアーとなった孫のタピットを通じて、今やアメリカ競馬界の主流血脈へと発展を遂げている。
生年 | 1989 |
---|---|
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | Seattle Slew |
母 | Weekend Surprise |
母父 | Secretariat |
調教師 | N.ドライスデール |
生産者 | W. S. Farish, III & W. S. Kilroy |
馬主 | Farish, Goodman, Kilroy and Tsurumaki |
通算成績 | 11戦8勝[8-0-1-2] |
距離 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
~1400m | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 50% | 50% | 50% |
1401m~1800m | 5 | 0 | 0 | 1 | 6 | 83% | 83% | 83% |
1801m~2100m | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 50% | 50% | 100% |
2101m~ | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 100% | 100% | 100% |
馬場状態 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
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良馬場 | 8 | 0 | 1 | 2 | 11 | 73% | 73% | 82% |
稍重馬場 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0% | 0% | 0% |
重馬場 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0% | 0% | 0% |
不良馬場 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0% | 0% | 0% |