プロフィール
「強い牝馬」の条件として真っ先に思い浮かぶのは、ビッグレースでの牡馬相手の勝利だろう。一度ならず二度、三度と重ね、これにクラシック制覇まで加われば完璧な履歴書ができあがるが、それを体現したのが2009年のレイチェルアレクサンドラだった。
2歳時のレイチェルアレクサンドラはデビュー戦で6着に敗れるなど目立つ存在ではなかったが、この年の最終戦で殿堂入り騎手C.ボレルと初コンビを組むと、レコードの逃げ切りで重賞を初制覇。これをきっかけに快進撃が始まり、4連勝で迎えたケンタッキーオークスでは単勝1.3倍の圧倒的1番人気にこたえて、馬なりのままレース史上最大の20馬身1/4差もの大差で圧勝。競馬史に残る衝撃のパフォーマンスを披露した。
世代の頂点を争うオークスで歴史的圧勝を収め、最強牝馬となったレイチェルアレクサンドラだが、直後に前年のドバイワールドCを勝ったカーリンの馬主らが所有権を買い上げ、S.アスムッセン調教師の元へ転厩。牡馬と初対戦となるプリークネスSへの電撃参戦が決まる。
同レースには、ボレル騎手の手綱でケンタッキーダービーを勝ったマインザットバードも二冠制覇を狙って参戦。それでもボレル騎手は、レイチェルアレクサンドラとのコンビ継続を選択すると、ダービー馬の追撃を1馬身封じて見事に逃げ切り勝ち。牝馬として85年ぶりのプリークネスS制覇を果たし、オークスとの変則二冠を達成する。さらにハスケル招待SではベルモントSの覇者サマーバードも6馬身差と寄せつけず、名実ともに3歳最強の座に就いた。
9月にはウッドワードSで古馬と初対戦。いつものように逃げると序盤に前年のベルモントS馬ダタラに絡まれ、それに乗じたスティーブンフォスターHの勝ち馬マッチョアゲインに終盤追い上げられる苦しい展開となったが、これをしのぎ切って価値ある勝利を手にした。
この後、サンタアニタパーク競馬場での開催となったブリーダーズカップは、当時採用されていたオールウェザーコースを嫌って回避。同年に同じく連戦連勝をしていた2歳上の牝馬ゼニヤッタと評価を二分していたが、レイチェルアレクサンドラが3歳牝馬として史上初のエクリプス賞年度代表馬に輝いた。
4歳も現役を続行したレイチェルアレクサンドラだったが、3月のシーズン初戦で2着に敗れて連勝が9でストップ。その後も3歳時のような圧倒的な走りはG1では見せられず、予定されていたゼニヤッタとの最強牝馬対決も断念し、9月には引退となった。