特別インタビュー「いつか日本の馬で凱旋門賞を勝ちたい」騎手 ミカエル・ミシェル

特別インタビュー「いつか日本の馬で凱旋門賞を勝ちたい」騎手 ミカエル・ミシェル

特別インタビュー「いつか日本の馬で凱旋門賞を勝ちたい」騎手 ミカエル・ミシェル

取材・文:インターナショナルスポーツマーケティング

“美しすぎるジョッキー”として日に日に注目度が増すなか、自らの実力を証明するように、短期騎手免許を持って日本での勝利数を着実に積み重ねているミカエル・ミシェル騎手。世界で戦ってきた経験も踏まえ、これまでの競馬人生、日本での生活、日本への想い、そして今後の目標について語ってもらった。(取材日:2020年3月7日)

「ジョッキーこそが自分の仕事だと思った」

馬との最初の出会いは覚えていますか?

ミシェル騎手(以下、「 」のみ)「まだ小さな頃だったので覚えていないです(笑)。初めて乗馬したのは9歳の頃でした。子どもの時からいろいろな動物や馬も好きだったのですが、実際に乗馬をしたことはなくて。友人の女の子が昔から乗馬をしていて、ある夏にその女の子が乗馬ができるキャンプに行くことになり、それがあまりに羨ましくて母に頼み込んで一緒に行かせてもらいました。キャンプは2週間で、初乗馬となる前日の夜に友人から馬をどうやって動かすかを教えてもらったことは、今でもはっきりと覚えています」

ご家族は馬に関わる仕事をされていたのですか?

「いいえ。特に母は動物を怖がっていたので、動物を飼うことについても、乗馬をすることについても、結構戦いました(笑)」

家族に反対されながらも「とにかくジョッキーになりたかった」というミシェル騎手。(Photo by Kazuhiro Kuramoto)

ジョッキーになろうと決意したきっかけは何でしたか?

「進路を悩んでいた15歳の時期なのですが、とにかく馬と関わる仕事がしたいと思いました。乗馬の先生など馬と関係する仕事はいろいろとあったので、どうしようかなと調べていたら、自分が住んでいるところから1時間以内に騎手学校がありました。お試しということで1週間通ってみたら、家に帰った時には『わたし何がやりたいかを見つけたよ!』と母に伝えていました。馬が好きだったのはもちろんなのですが、競争が好きなことに気づいたんです。それを両方感じられるジョッキーこそ、自分のやるべきことだとこの時に思いました」

母親からは反対されたのでは?

「1年間ぐらい戦いました(笑) 何がなんでも騎手学校に行きたかったので、努力して説得しましたね。ただ、今は納得はしてくれていますし幸せになれる仕事をしているのでいいのですが、母からは今でも『危なすぎるわ』と言われますね。自分の性格は少し頑固だと思います(笑)」

念願のデビューから、その翌年には落馬で大きなケガを負った時期があるかと思います。当時はどんなことを考えていましたか?

「ケガをした時はまだ若かったですし、当時のマインドとしては、まだこの仕事を続けたいのかも少しあやふやだったんです。ただ、ケガをして1年間休まなければならないことが分かって、医者からも『乗馬は絶対に無理だ』と言われたのですが、それを聞いた瞬間に『そんなの嫌だ!』という気持ちが湧き上がりました。逆にその瞬間に、『ケガが治ったらプロのジョッキーになってシャンティイ競馬場で馬に乗るんだ』と決意したことを覚えています」

「大ケガを負った期間が自分を大人にしてくれた」と振り返る。(Photo by Kazuhiro Kuramoto)

やっぱり負けず嫌いですね。

「自分で決めたことではなく、外部の要因で勝手に決められることが本当に嫌なんです。辞める時は自分で辞める。何かの事故があったからではない、と思っていました」

ケガの時期が今の自分に与えている影響はありますか?

「ケガ当時はフランスから少し離れたい、周りの空気も変えたいということもあり、元ジョッキーの方から申し出があったこともあってニューカレドニアに行きました。多少フランス語は通じるものの、文化も違う、家族もいない環境でひとりで生活していたので、あの期間で随分大人になることができました。たぶん、あの時期で大人にならなきゃいけなかったと思っています」

「騎乗した馬についてはすべて覚えている」

信頼を寄せるF.スパニュエージェント(右)。(Photo by Kazuhiro Kuramoto)

ケガから復帰後、女性騎手の年間史上最多勝記録更新、(カーニュシュルメール競馬場で)フランス史上初の開催リーディング達成などを果たしました。当時「トルネード」とも称されていたようですが、ご自身ではケガから復帰して以降の活躍をどう振り返っていますか?

「当時ケガからも回復してシャンティイにいたんですけど、その時に友だちと会ったりする中で、フレッド(フレデリック・スパニュエージェント)と出会いました。私は以前から彼を知っていましたが、彼は私のことは知らない状態で、たまたま騎乗を見てもらえる機会がありました。そこでわたしの騎乗がベテランのようだと感心してくれて、最終的にエージェントとして契約してもらえることになりました。当時わたしは無名な女性若手ジョッキーでしたし、まだまだ周囲の人たちからも気にかけられる存在ではなかったのですが、急に賞を獲得したり、色々なレコードを破ったりしていくなかで、みんな驚いてくれて『トルネード』というあだ名が付くほど活躍ができました。年間史上最多勝記録を達成した時は、最終的にリーディング12位になることができました」

日本の競馬ファンはフランスといえば凱旋門賞のイメージが強いのですが、その辺りの印象はいかがでしょうか?

「牝馬限定ですがディアヌ賞は人気があって、特に雰囲気がいいんですよね。みんながドレスや帽子で着飾ったりして、非常に大きなイベントです。騎乗するのは男性が多いので、いつか女性が勝てるように願っています。ただ、やっぱり一番は凱旋門賞で、本当に素晴らしいレース、一番クールなレースですよ」

ミシェル騎手にとってはすべてのレースが心に残っている。(Photo by Kazuhiro Kuramoto)

これまで多くの国で騎乗経験があるかと思いますが、特に印象に残っているレースはありますか?

「騎乗して一番誇りに思ったのは札幌でのレース(2019ワールドオールスタージョッキーズ)です。世界中の有名ジョッキーが集まったレースでしたし、今でもはっきりと覚えていますね。あとは騎乗した馬については基本的にすべて覚えています。たとえ期待されていなかった馬に乗ったとしても、勝つことでみんなを驚かせることもありましたし、すべてのレースが心に残っています」

先日初開催となったサウジカップデーについて、実際に参加してみていかがでしたか?

「コースがとても素晴らしかったし、有力ジョッキーたちがいたこともあり、一緒に走ることができて、またその中で総合3位になることもできたので嬉しかったですね。今回ほかによかった点としては、サウジアラビアで初めて女性がレースに参加できたことです(女性は7名参加)。女性での初参加ということを誇りに思っていますし、その上、友人のリサ・オールプレス騎手(ニュージーランドのトップ女性騎手)もレースで1着を取れたこともあり、それも嬉しかったですね」