メルボルンカップ

Melbourne Cup

2016/11/01(火)13時00分発走 ※発走日時は日本時間

オーストラリア国旗フレミントン競馬場

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沿革

沿革

11月1日(火) オーストラリア フレミントン競馬場
第7R メルボルンカップ(G1)
発走時刻 15:00
(日本時間 13:00)
芝左3200m
3歳以上 ハンデ

総賞金:620万豪ドル(約4億9600万円)
1着賞金:360万豪ドル(約2億8800万円)
※1豪ドル=80円で換算

街の発展をしのぐイベントの成長力

 メルボルンの街は1850年代のゴールドラッシュを契機に発展。競馬では1855年に最初のヴィクトリアダービーが開催された。メルボルンカップは6年後の1861年に創設され、4000人がレース観戦に訪れたという。その後も有力者の社交の場として、また、大衆の娯楽として人気を博し、人口が1880年までに29万人へと増加したのに対し、メルボルンカップは10万人の観衆を集める名物イベントに成長。今や「The Race That Stops The Nation(=国を止めるレース)」の異名を取る、オーストラリア競馬を象徴するレースになった。

 ちなみに、第1回メルボルンカップの開催は木曜日だったが、1875年から火曜日に定着(第2次大戦中の1942~44年は土曜日に変更)。1877年には11月の第1火曜日をレース開催日とし、メルボルンの祝日に指定された。『トム・ソーヤの冒険』などで知られ、1895年にメルボルンカップを観戦したアメリカの文豪マーク・トウェインは「世界の祝祭を見物してきたが、これほどまでに国を挙げて盛り上がるものもない」と感嘆し、わずか30年余りで競馬の枠を超えた国民的イベントに成長していたことを伝えている。

人気・実績不問、ハンデ戦ならではの歴史

 1929年にはオーストラリアの競馬史上、最も有名とされるアイドルホース・ファーラップが参戦して3着。1931年までレース史上唯一の3年連続1番人気と主役を張り、2年目には見事に優勝している。3年目は8着だったものの、最強馬の評価を不動の物としていたファーラップは、レース史上最重量となる68kgものハンデを課せられていた。

 このように、ハンデ戦であることに加えて20頭以上の多頭数(現在のフルゲートは24頭)になることがほとんどなため、連覇や年を置いての複数勝利が非常に難しく、1番人気馬やトップハンデ馬の優勝例も多くはない。2003~2005年にかけてマカイビーディーヴァが3連覇を果たしているが、これは空前絶後ともいうべき快挙。3年目には牝馬の優勝馬として史上最高の58kg(トップハンデ)も克服している。

ハンデ戦として最高、世界有数の高額賞金

 オーストラリアが世界に誇る大レースだけに賞金水準も高く、総額はハンデ戦として世界最高。同じ3200mのレースである天皇賞・春の総額3億2500万円、1着賞金1億5000万円と比較してもそれぞれ1億円余り差があり、施行条件を問わず世界屈指の高額賞金レースとなっている。また、賞金の他にも勝利馬主に17万5000豪ドル(約1400万円)、調教師と騎手に1万豪ドル(約80万円)、厩務員と生産者に5000豪ドル(約40万円)相当の18金製トロフィーが用意され、優勝馬の陣営には総額380万豪ドル(約3億400万円)相当の賞金と副賞が贈られる。

 日本調教馬は過去に7頭が挑戦し、2006年にデルタブルースが優勝。僚馬のポップロックとともにワンツーを決めたが、それ以外の5頭は2桁着順の惨敗に終わっている。オセアニア地区以外からでは1993年のヴィンテージクロップ(アイルランド)が初優勝。デルタブルースを含めて計6頭を数える。


レコード 3:16.30 キングストンルール(1990)
最大着差 8馬身 アーチャー(1862)、レインラヴァー(1968)
最多勝利馬 3勝 マカイビーディーヴァ(2003-2005)
最多勝利騎手 4勝 ボビー・ルイス、ハリー・ホワイト
最多勝利調教師 12勝 バート・カミングス
最高ハンデ(勝利) 65.5kg カーバイン(1890)
最高ハンデ(出走) 68kg ファーラップ(1931)
最高ハンデ(牝馬) 58kg マカイビーディーヴァ(2005)
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