メルボルンカップ

Melbourne Cup

2016/11/01(火)13時00分発走 ※発走日時は日本時間

フレミントン競馬場

日本馬の歴史

日本馬の歴史

無名の先兵、オーストラリアで孤軍奮闘

 日本調教馬が初めてオーストラリアの大地を踏んだのは21世紀を迎えてからのことで、パイオニアとなったのは2005年のアイポッパー。メルボルンC参戦を期してまずは前哨戦のコーフィールドCに出走すると、直線で1度は先頭に立つなど大いに健闘し、いきなり2着の好結果を生む。実力で現地の評価を勝ち取ったアイポッパーは、期待とともにメルボルンCへ駒を進めることになった。

 レースでは好スタートから6番手前後の絶好位で流れに乗り、直線で抜け出すかの大きな見せ場を作る。しかし、もうひと伸び欲しい所から脚勢が鈍り、入れ替わるようにマカイビーディーヴァの豪脚に呑み込まれて結果は12着。史上初の3連覇を成し遂げた女傑の引き立て役に終わった。ただ、直前に天皇賞・春で3着に善戦するなど伸び盛りではあったものの、当時のアイポッパーは重賞未勝利の身。その無名とも言える存在が現地最大級の2戦で勝ち負けに絡む活躍を披露したことは、日本馬の挑戦を促す十分なきっかけとなった。

日本馬強し! 圧巻のワンツーフィニッシュ

 アイポッパーの奮闘を受けて翌年にはさっそく2頭の実績馬がオーストラリアへ飛ぶ。角居勝彦厩舎の僚友としてともに5歳を迎えていたデルタブルースとポップロックは、前者が3歳時に菊花賞を制し、後者は遠征直前にアイポッパーを下して目黒記念を制したばかりと、対照的なキャリアを歩んでいた。腕試しのコーフィールドCではデルタブルースの3着に対してポップロックも7着とまずまずの結果。中団の前で受けたデルタブルースが3着に粘り込む上々の内容を残す一方、立ち後れて後方から差のない7着まで追い上げたポップロックは、メルボルンCで1番人気(タイ)に推されるほどの評価を得た。

 迎えた本番ではデルタブルースが仕掛けて出る積極策。この年から英ゴールドCを4連覇することになるイェーツを前方に見ながら3番手で流れに乗り、先頭で馬体を並べながら最終コーナーをクリアした。しかし、イェーツが早々に手応えを失うと、デルタブルースは残り400mで敢然と先頭に立ち、追いすがるライバルたちから1馬身余りのリードをキープ。長距離戦の終盤らしい我慢くらべとなる中、直線に賭けたポップロックが襲い掛かり、最後の100mは僚友の一騎打ちとなってデルタブルースが短アタマ差しのぎ切った。日本の2頭が演じた死闘もさることながら、3着以下を4馬身以上突き放す圧倒的なパフォーマンスは現地の関係者に衝撃を与え、「日本馬強し」を印象づけた。

思わぬ逆風、取り戻せない流れ

 デルタブルースらの活躍により弾みがつくかに思われた日本馬の豪州遠征だが、思わぬ所から横槍が入ることになる。2007年に日本で馬インフルエンザが発生。これがオーストラリアにも拡大したことを受けて検疫期間の延長措置が取られ、事実上、日本からの遠征が不可能になったのだ。

 規制が緩和された2010年に8歳の古豪トウカイトリックが海を渡ったものの12着に完敗。4年後にはアドマイヤラクティがコーフィールドCを制し、日本調教馬として2頭目の豪州G1勝ちを成し遂げた。しかし、1番人気で迎えたメルボルンCでは2番手追走から4コーナーで失速し、まさかの最下位に大敗。レース後には心臓麻痺によって命を失ってしまう。続く2015年にも天皇賞・春で上位入線歴のあるフェイムゲームとホッコーブレーヴがコーフィールドCから臨むも、メルボルンCともども流れに乗れず惨敗。フェイムゲームも1番人気に支持されるなど、依然として日本馬は現地で高く評価されているものの、失った流れを取り戻せないままとなっている。

馬名 性齢 着順 騎手 調教師
2005 アイポッパー 牡5 12 藤田伸二 清水出美
2006 デルタブルース 牡5 1 岩田康誠 角居勝彦
ポップロック 牡5 2 D.オリヴァー 角居勝彦
2010 トウカイトリック 牡8 12 藤田伸二 野中賢二
2014 アドマイヤラクティ 牡6 22 Z.パートン 梅田智之
2015 フェイムゲーム 牡5 13 Z.パートン 宗像義忠
ホッコーブレーヴ 牡7 17 C.ウィリアムズ 松永康利