日本馬挑戦の歴史
2006年に歴史的ワンツーも、2桁着順の苦戦が続く
日本調教馬としてオーストラリアのG1に初挑戦した2005年のアイポッパーは、初戦のコーフィールドCで単勝41倍の伏兵評価ながらいきなり2着に激走し、6倍の3番人気と大きく評価を高めてメルボルンCに臨んだ。好スタートから好位集団の一角で流れに乗ったアイポッパーは、迎えた直線で先頭をうかがう勢いを見せたが、最後に踏ん張りが利かずに失速。この一戦で空前絶後の3連覇を成し遂げたマカイビーディーヴァの豪脚とコントラストを描くように12着でゴールした。
アイポッパーがオーストラリアで結果を残したことは実績馬の遠征を促し、翌年にはデルタブルースとポップロックがコーフィールドCからメルボルンCに挑む。ともに5歳馬で角居勝彦厩舎の僚友。デルタブルースは菊花賞馬、ポップロックも遠征直前に目黒記念勝ちと、重賞未勝利だったアイポッパーと比較して格上的な存在だった。
コーフィールドCではデルタブルースが単勝81倍の低評価で3着、ポップロックは13倍で7着も、不利を受けながら勝ち馬から1馬身半差の圏内でゴール。十分な内容を残し、遠征当初から評価が高めだったことも手伝ってポップロックは、次のメルボルンCでコーフィールドCの勝ち馬トーキートと並び単勝6倍で1番人気の支持を集めた。
レースでは序盤2、3番手の位置を取っていたデルタブルースが、最終コーナーで先頭に馬体を並べ、残り400mでは先頭に立つ。そしてその粘るデルタブルースの背後を脅かしたのがポップロックだった。
中団追走から直線で大外に持ち出されたポップロックは、残り200mで2番手に上がるとデルタブルースに一完歩ずつ詰め寄り、残り100mで半馬身、50mではクビ差と壮絶な一騎打ちを展開。そして最後はデルタブルースが短アタマ差しのいで歴史的ワンツーフィニッシュを決める。3着馬を4馬身半も離す圧倒的なパフォーマンスは、現地のファンや関係者に強烈な記憶を刻みつけた。
立て続けの活躍によって弾みがつくかに思われた日本馬の豪州遠征だが、2007年に日本で馬インフルエンザが発生。検疫期間に影響が及び、日本からの遠征が難しくなった。2010年になって検疫などの規制が緩和され、8歳の古豪トウカイトリックがさっそくオーストラリアへ渡ったものの、メルボルンCでは12着に完敗する。
4年後の2014年にはアドマイヤラクティがコーフィールドCを制し、日本調教馬として2頭目となる豪州G1勝ちを成し遂げた。しかし、1番人気で迎えられたメルボルンCではまさかの最下位に大敗。レース後には心臓麻痺によって悲運の死を遂げてしまう。
続く2015年にも天皇賞・春で上位入線歴のあるフェイムゲームとホッコーブレーヴがコーフィールドCとメルボルンCを連戦したが、いずれも流れに乗れないまま惨敗。2016年のカレンミロティックも23着に沈み、ワンツーを決めた2006年以外は見せ場を作れない苦戦が続いている。
年 | 馬名 | 性齢 | 着順 | 騎手 | 調教師 |
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2016 | カレンミロティック | セ8 | 23 | T.ベリー | 平田修 |
2015 | フェイムゲーム | 牡5 | 13 | Z.パートン | 宗像義忠 |
ホッコーブレーヴ | 牡7 | 17 | C.ウィリアムズ | 松永康利 | |
2014 | アドマイヤラクティ | 牡6 | 22 | Z.パートン | 梅田智之 |
2010 | トウカイトリック | 牡8 | 12 | 藤田伸二 | 野中賢二 |
2006 | デルタブルース | 牡5 | 1 | 岩田康誠 | 角居勝彦 |
ポップロック | 牡5 | 2 | D.オリヴァー | 角居勝彦 | |
2005 | アイポッパー | 牡5 | 12 | 藤田伸二 | 清水出美 |