香港ヴァーズ

Hong Kong Vase

2016/12/11(日)15時00分発走 ※発走日時は日本時間

シャティン競馬場

沿革

沿革

香港国際競走の歴史は、1988年にマレーシアとシンガポールの競馬統括団体であるマラヤ競馬協会の所属馬を招いて争われた香港招待カップ(芝1800m)に始まる。レースの増設や昇格など、段階的に規模を拡大していく過程で日本も1992年から対象国に加えられたが、同年は馬インフルエンザの発生により開催が中止。翌年4月に代替開催となった香港国際ボウル(現在の香港マイル)に日本調教馬としてホクセイシプレーが初参戦した。

1995年にはフジヤマケンザンが日本調教馬として当時G2の香港国際カップ(1993年に香港招待カップから改称)を初制覇。これは日本調教馬が香港であげた初勝利でもあった。香港国際カップは1998年にもミッドナイトベットが優勝。その翌年、同レースは香港カップへ再改称すると共に香港競馬初の国際G1に昇格する。2000年に香港マイルと香港ヴァーズ、2002年には香港スプリントが国際G1に格付けされ、G1レース4鞍による現行のプログラムが確立した。

香港では条件戦から重賞に至るまで、長距離戦に比べて短距離戦のレース数が圧倒的に多く、必然的にレベルも偏る傾向にある。香港スプリントはG1昇格直後から地元馬が8連勝するなど、過去14回で11勝と遠征馬を圧倒。香港マイルもG1昇格後の16回のうち、2005年からの9連勝を含む計11勝と優位を築いている。海外馬の国別勝利数ではフランス調教馬の計14勝が最多だが、そのうち10勝は香港ヴァーズで稼ぎ出したものだ。

日本馬は2001年にG1昇格済みの3レースを制圧して大きなインパクトを残したが、 その後は2005年の香港マイル優勝(ハットトリック)を最後に勝利から遠ざかり、2012年にロードカナロアが日本調教馬として香港スプリントを初制覇するまで不振が続いた。ロードカナロアは2013年もスプリントを連覇。2015年にはモーリスが香港マイルを制し、エイシンヒカリとヌーヴォレコルトは香港カップでワンツーフィニッシュを決めるなど、近年は日本調教馬も再び存在感を発揮しはじめている。これらを含め、G1昇格前を含む香港国際競走の歴史上、日本調教馬が積み上げた勝利数は「10」を数える。