日本馬挑戦の歴史
日本調教馬の歴史的転換点となったタイキシャトルの快挙
100年近い歴史を誇るジャックルマロワ賞に挑戦した日本調教馬は、わずかに4頭を数えるのみ。開拓者は1986年のギャロップダイナだった。
前年の天皇賞・秋で皇帝シンボリルドルフ撃破という番狂わせを演じたことをきっかけに飛躍し、ジャックルマロワ賞遠征に出る3か月前には安田記念で2度目のG1制覇を飾るなど重賞3連勝。中距離路線の実力馬として地位を確立していたが、海外遠征のノウハウも乏しい時代にぶっつけ本番で挑んだ舞台では、未経験の直線コースなど初物尽くしの環境に苦戦を強いられ、あえなく12着と欧州の壁に跳ね返される結果に終わった。
2頭目の挑戦者に名乗りを挙げたタイキシャトル(1998年)は、日本馬が香港をはじめ海外で結果を出しはじめた時代。1週前には同じドーヴィル競馬場のモーリスドゲスト賞で、シーキングザパールが日本調教馬として欧州G1初制覇を成し遂げていた。
国内で最強マイラーの地位を不動のものとしていたタイキシャトルは、日本の競馬ファンからもかつてないほどに大きな期待を集め、レースでも最強馬にふさわしい勝負強さを発揮。残り400mからの攻防でケープクロスをねじ伏せると、その間隙を狙ってきたアマングメンの追い込みも半馬身抑えてゴールを駆け抜けた。
日本で最強なら海外でも通用することを証明した歴史的1勝。自らも海外へ積極的に遠征して腕を磨いてきた岡部幸雄騎手にとっても悲願の海外G1初制覇となり、クールな男の目からこぼれ落ちる涙は大きな感動を呼んだ。
2003年にはテレグノシスとローエングリンが連れ立ってフランス遠征を敢行し、ジャックルマロワ賞とムーランドロンシャン賞を転戦。初戦のジャックルマロワ賞ではテレグノシスが先頭争いを繰り広げ、わずかに追いくらべで後れを取ったものの3着と大いに見せ場を作っている。
年 | 馬名 | 性齢 | 着順 | 騎手 | 調教師 |
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2003 | テレグノシス | 牝4 | 3 | 勝浦正樹 | 杉浦宏昭 |
ローエングリン | 牡4 | 10 | 後藤浩輝 | 伊藤正徳 | |
1998 | タイキシャトル | 牡4 | 1 | 岡部幸雄 | 藤沢和雄 |
1986 | ギャロップダイナ | 牡6 | 12 | M.フィリペロン | 矢野進 |