ケンタッキーダービー(G1)
2025年5月4日 (日) 07:57[現地時間 2025年5月3日 (土) 18:57]
アメリカ チャーチルダウンズ競馬場
ダート左2000m 3歳
負担重量:3歳=牡・セン馬 57kg、牝馬 55kg
賞金総額:500万米ドル(約7億1000万円)
1着賞金:310万米ドル(約4億4020万円)
※1米ドル=142円で換算
150年余り途切れることなく開催されてきた「最もエキサイティングな2分間」
ケンタッキーダービーの創設は1872年に欧州を歴訪したメリウェザー・ルイス・クラークの英ダービー観戦が端緒となった。フランスジョッキークラブとも交流があったクラークは、アメリカにも大レースを企画。帰国後にルイビルジョッキークラブを組織し、おじのジョン・チャーチルとヘンリー・チャーチルから得た土地に競馬場を造成すると、1875年5月17日に1万人の観衆を集めて第1回ケンタッキーダービーの実施に至った。
競馬場は1883年に「チャーチルダウンズ」と呼ばれはじめ、1895年には象徴となる二つの塔を備えたスタンドが完成。その翌年に12ハロンで行われてきた距離が10ハロンに短縮された。1904年には赤いバラが公式花に採用され、500本のバラで装飾する優勝レイ(首掛け)やロゴの図柄に使用されるなどレースの象徴となっていることから、KYダービーには「Run for the Roses」というメタファーもある。
こうしてイベントを充実させていく一方、チャーチルダウンズは財政難に陥ったが、第1回KYダービーの際にはまだ10代で観客の1人だったマット・ウィンが、1902年にチャーチルダウンズの経営に参画。1925年に初のラジオ放送を実現するなどプロモーションに手腕を発揮し、局所的なイベントに過ぎなかったKYダービーを国民的行事へと大きく成長させた。
ウィンの貢献もあって難局を乗り越えたKYダービーは、コロナ禍の2020年こそ史上初、そして唯一の秋(9月)に延期されたものの、2度の大戦や大恐慌の間も途切れることなく今日まで開催。アメリカの全スポーツイベントにおける最長記録を継続しており、その決着タイムにちなんで「The most exciting two minutes in sports」(スポーツの中で最もエキサイティングな2分間)と評されるまでになった。
また、KYダービーの創設当時に騎手や調教師、厩務員など競馬の現場で中心的役割を担っていたのは黒人たちで、第1回の優勝馬アリスティデスに騎乗したオリバー・ルイスと調教師のアンセル・ウィリアムソンをはじめ、第28回までのうち15回で黒人騎手が優勝。アイザック・マーフィーは騎手として初の連覇(1890、1891年)を達成したほか、1892年のアロンゾ・クレイトンによる最年少勝利記録(15歳)は今も破られていない。
現在に伝わる形式を徐々に築き上げていったKYダービーは、1915年にリグレットが牝馬として初優勝し、1919年にはサーバートンが現在と同じレース間隔の32日間で初の三冠馬に輝く。プリークネスS、ベルモントSとの「トリプルクラウン(三冠)」という言葉は、ギャラントフォックスが達成した1930年に、ニューヨークタイムズ紙が使用してから広まったとされる。それまでダービーの開催日は可変的だったが、1931年に5月の第1土曜日に定まり、これによって三冠戦のレース間隔も固まった。
1952年にはテレビによる初の全国中継が行われ、一段と注目の度合いを上げたKYダービーは、世界の血統地図を塗り替えることになるノーザンダンサーが1964年にレースレコードで優勝。1977年に史上初となる無敗での三冠を達成したシアトルスルーの血脈はアメリカの主流として根を張り、1989年の優勝馬サンデーサイレンスも日本で種牡馬入りすると革命的な成功を収めるなど、現在の競馬界に多大な影響を与えている名馬を輩出してきた。また、ノーザンダンサーのレコードは1973年にセクレタリアトが更新(1分59秒40)し、現在も最高タイムとして現存している。
2013年のKYダービーを対象とする世代からは、前哨戦のレース毎に割り当てられたポイントの獲得数に応じて出走順位が決まる選定シリーズ「Road to the Kentucky Derby」が導入され、それまでの獲得賞金順から改められた。1995年に日本から初挑戦したスキーキャプテンはフルゲート割れで出走が叶ったが、2頭目のラニ(2016年)はUAEダービー制覇でポイントを獲得しての参戦。2017年のレースからは日本調教馬を対象とした「Japan Road to the Kentucky Derby」、その1年後には欧州調教馬が対象の「European Road to the Kentucky Derby」も新設され、日本版は2019年のマスターフェンサーが適用第1号として遠征した。
牝馬がダービー出走を希望する場合も選定シリーズでの得点が必要だが、獲得したポイントはケンタッキーオークス用のシステムに充当することもできる。リグレット以降で牝馬の優勝はジェニュインリスク(1980年)、ウイニングカラーズ(1988年)の2頭しかいないが、2013年のシステム導入後、2024年まで牝馬のダービー出走は1頭もなくなった。なお、フルゲート(20頭)に満たない場合、残りの出走枠は獲得賞金順によって決定するため、ポイントのない牝馬でも出走可能になる。
なお、この2025年のKYダービーを対象とするシリーズではいくつかの変更が加えられている。欧州版に中東を加えてシリーズ名を「Euro/Mideast Road to the Kentucky Derby」と改めるとともに、これまでアメリカ版に含まれていたUAEダービーを欧州/中東版に移設。総獲得ポイントの上位2頭に本番の出走権が割り当てられた。また、アメリカ版からUAEダービーが削減された代わりに、芝の重賞だったヴァージニアダービーがダートに条件変更して追加されている。
さらに、従来のポイント配分にも手が加えられ、前哨戦が6頭以上で争われた場合は事前に発表の通り100%の得点となるが、5頭立ては75%、4頭立て以下では50%に減じられる仕組みになった。
これまでに日本調教馬は前記の3頭を含めて計9頭が挑戦。2024年のフォーエバーヤングは3頭一線の激闘を演じて3着に善戦し、5着のテーオーパスワードともども、それまでの日本調教馬による最高着順(6着)を更新した。
レース日 | 調教国 | 馬名 | 性齢 | 騎手 | 調教師 | タイム |
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2024年5月4日 | アメリカアメリカ | ミスティックダン | 牡3 | B.ヘルナンデスJr. | K.マクピーク | 2:03:34 |
2023年5月6日 | アメリカアメリカ | メイジ | 牡3 | J.カステリャーノ | G.デルガド | 2:01:57 |
2022年5月7日 | アメリカアメリカ | リッチストライク | 牡3 | S.レオン | E.リード | 2:02:61 |
2021年5月1日 | アメリカアメリカ | マンダルーン | 牡3 | F.ジェルー | B.コックス | 2:01:02 |
2020年9月5日 | アメリカアメリカ | オーセンティック | 牡3 | J.ヴェラスケス | B.バファート | 2:00:61 |
2019年5月4日 | アメリカアメリカ | カントリーハウス | 牡3 | F.プラ | W.モット | 2:03:93 |
2018年5月5日 | アメリカアメリカ | ジャスティファイ | 牡3 | M.スミス | B.バファート | 2:04:20 |
2017年5月6日 | アメリカアメリカ | オールウェイズドリーミング | 牡3 | J.ヴェラスケス | T.プレッチャー | 2:03:59 |
2016年5月7日 | アメリカアメリカ | ナイキスト | 牡3 | M.グティエレス | D.オニール | 2:01:31 |
2015年5月2日 | アメリカアメリカ | アメリカンファラオ | 牡3 | V.エスピノーザ | B.バファート | 2:03:02 |
2014年5月3日 | アメリカアメリカ | カリフォルニアクローム | 牡3 | V.エスピノーザ | A.シャーマン | 2:03:66 |
2013年5月4日 | アメリカアメリカ | オーブ | 牡3 | J.ロザリオ | C.マゴーヒーIII | 2:02:89 |
2012年5月5日 | アメリカアメリカ | アイルハヴアナザー | 牡3 | M.グティエレス | D.オニール | 2:01:83 |
2011年5月7日 | アメリカアメリカ | アニマルキングダム | 牡3 | J.ヴェラスケス | G.モーション | 2:02:04 |
2010年5月1日 | アメリカアメリカ | スーパーセイバー | 牡3 | C.ボレル | T.プレッチャー | 2:04:45 |
2009年5月2日 | アメリカアメリカ | マインザットバード | セ3 | C.ボレル | B.ウーリーJr. | 2:02:66 |
2008年5月3日 | アメリカアメリカ | ビッグブラウン | 牡3 | K.デザーモ | R.ダトローJr. | 2:01:82 |
2007年5月5日 | アメリカアメリカ | ストリートセンス | 牡3 | C.ボレル | C.ナフツガー | 2:02:17 |
2006年5月6日 | アメリカアメリカ | バーバロ | 牡3 | E.プラード | M.マッツ | 2:01:36 |
2005年5月7日 | アメリカアメリカ | ジャコモ | 牡3 | M.スミス | J.シレフス | 2:02:75 |
2004年5月1日 | アメリカアメリカ | スマーティジョーンズ | 牡3 | S.エリオット | J.サーヴィス | 2:04:06 |
2003年5月3日 | アメリカアメリカ | ファニーサイド | セ3 | J.サントス | B.タッグ | 2:01:19 |
2002年5月4日 | アメリカアメリカ | ウォーエンブレム | 牡3 | V.エスピノーザ | B.バファート | 2:01:13 |
2001年5月5日 | アメリカアメリカ | モナーコス | 牡3 | J.チャベス | J.ウォードJr. | 1:59:97 |
2000年5月6日 | アメリカアメリカ | フサイチペガサス | 牡3 | K.デザーモ | N.ドライスデール | 2:01:00 |
※2000年以降を記載
※2021年はメディーナスピリット(1位入線、後日失格)のタイムを記載
※2019年はマキシマムセキュリティ(1位入線、17着降着)のタイムを記載